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第125号(2005.10.20発行)

第125号(2005.10.20 発行)

民俗文化の日本海側と太平洋側

国立歴史民俗博物館名誉教授◆小島美子 (とみこ)

東日本と西日本の民俗文化に大きな違いがあることはよく知られている。
しかし実は日本海側と太平洋側の民俗文化にも違いがある。
日本海側は古代から対岸の諸民族との交流が深く、その文化の影響を受けている。
それは民謡のメロディの骨組みを形づくる音階にも現れている。

日本海側と太平洋側に住む人の国際感覚

■日本海周辺図

太陽は海からのぼって山に沈む、と太平洋側に住んでいる人は思いこんでいる。ところが日本海側に住んでいる人は、太陽は山からのぼって海に沈むと思いこんでいる。そして海のない地域の人々にとっては、太陽は山からのぼって山に沈むものである。福島県の福島市で育った私の七才年下の妹は、幼い時、旅先の山形県の酒田市の海岸で、「ワアー、おひさまが海に沈んじゃう!」と目を丸くして驚き、真剣に心配した。

日本列島に住む人間にとって、海がどちら側にあるかということは、大問題である。北海道、日本海側、九州の北部と西部、南西諸島に住む人々は何とはなしに、いつも他国の存在や国境をどこかで意識している。ところが太平洋側に住んでいる人々ののん気な事よ。国境などということは考えたこともない人が大部分だ。ということは日本海側などに住む人々の方が、はるかに国際感覚をもっているということである。そしてそれは現代に限った話ではない。日本地図を逆さにしてみると超古代には日本海が内海、大きな湖だった姿が見えてくる。実際に古代から日本海側がむしろ表日本だった。最近では太平洋側も南方の諸地域と交流があったことが、少しずつ明らかになってはいるが、それは日本海側が対岸の諸地域と交流してきたことに比べれば、質量ともに比較にはならない。

日本海側と太平洋側の民俗文化の違いを民謡にみる

日本の民俗文化が東日本と西日本では非常に違うことは、もう一般的な常識になっている。しかし日本海側と太平洋側の民俗文化が相当に異なることについては、あまり知られていない。

実は私がそう考えるようになったきっかけはごく単純なものであった。岩手県の「南部牛追い歌」と宮崎県の「刈干切り歌」は、どちらも大変有名な民謡で、両方とも山深い山村の民謡である。しかしこの2つの歌は大変離れた土地の歌であるにもかかわらず、かなり似ているのである。実際にこの2つの歌は音階も同じで、メロディはなだらかに動き、リズムは自由に伸び縮みさせることのできる「追分」のようなタイプで、メロディの動きもよく似ているのである。南九州と北東北の歌が、どうして似ているのか? と不思議に思ったが、両方とも太平洋側の山村であるという共通点に気が付いた。日本は非常に山や島が多いので、50年くらい前ではそれらの交通不便なところでは、意外にいろいろな面で古い形を残していた。あるいは日本海側と太平洋側の民謡を分析してみると何か出てくるかもしれないと、私は考えた。

民謡の性格と基本的要素

民謡は融通無碍なもので、歌う人や歌われる場などによって、歌詞もメロディも変化する。だからその数も数えられないし、正調などと言い出したら、その民謡はもう死に体だということである。しかしメロディの骨組みをつくる音の並び、つまり音階は簡単には変化しない。ただ「ねんねんころりよ」の子守歌でも、明るいメロディと少し暗いメロディがあるように、本来のメロディをいわば短調にするような変化だけはしばしばあるが、それも基本的な変化ではない。というわけで、まずその音階を分析してみたところ、想像以上にはっきりと傾向が現れた。その素材としたのは日本放送協会編の「日本民謡大観」である。民謡は無数にあるので、この楽譜集に収められているのは、その一部に過ぎないが他の楽譜集に比べれば偏りが少なく、五線譜への採譜もかなりよくできている。残念ながら、まだ音から直接採譜したり音階分析をしたりというコンピュータによる方法は開発されていないので、やむを得ず、いわば手作業で分析を試みたのである。

■日本の音階

日本の民謡には、民謡音階(たとえばラドレミソラの形)、呂(りょ)音階(ドレミソラド)、呂陰(りょいん)音階(呂音階を短調にしたような形)、律音階(ドレファソラド)、都節(みやこぶし)音階(律音階を短調にしたような形)、沖縄音階(ドミファソシド)の6種類の音階が有る。おそらく人々は最初は1つの音階しか使っていなかったと思われるが、民族移動や文化的な影響などによって異なる音階を加えてきたのである。日本民謡の場合、おそらく呂音階がもっとも古く、日本列島全体の民謡にあるが、南西諸島の民謡以外では数は少ない。その上に古く律音階が伝えられたらしく、これも日本列島全体の民謡に見られるが、その数は次の民謡音階と関係する。民謡音階は北は北海道からあるが、南は奄美諸島の徳之島の民謡までが主な分布域である。そしてその南隣の沖永良部島は沖縄音階の世界になる。この2つの島の間の境界線は言語にもあるらしいが、歴史的には新しく、形づくられたのはおそらく近世である。つまりこの2種の音階は、他の音階のベースの上に南北から入ってきて、せめぎあっている状態なのである。

日本海側と太平洋側の民謡の音階分布の違い

さて、分析の結果、日本海側の民謡では民謡音階が圧倒的に多く、旧国名も記せば、島根県の出雲、鳥取県の伯耆、富山(越中)、秋田(羽後)などは、80%を越えている。鳥取県の因幡だけが収録曲に問題があって、55.8%であるが、その他の沿岸部はほとんど70%以上が民謡音階である。これに対してたとえば、広島県の安芸・備後、兵庫県と京都府の内陸部にある丹波は50%台、そして和歌山(紀伊)の民謡などは民謡音階が38%しかない。つまり62%が律音階系と呂音階系で占められているのである。この分析結果は先に述べたように資料が限定されているので厳密なものではないが、日本列島の両側の民謡の大体の傾向は十分に読みとれる。

日本以外の諸民族の民謡の音階について簡単に日本民謡の音階の名称をあてはめることには問題もあるが、わかり易くするためにここではあえて共通の名称で示してみる。私が入手している資料を分析してみた結果、近隣諸民族の民謡の音階は大体次のようになる。中国本土の民謡では律音階と呂音階が基本的であり、それは東アジアに広がっている。律音階と沖縄音階は東南アジアに多い。これに対して民謡音階はチベット民謡には多いが、むしろ朝鮮半島からモンゴルにかけての諸民族の民謡には多い。いまのところ私はツングースなども含めて、これらの地域の諸民族の民謡では、民謡音階の方がベーシックで、その上に漢民族の音楽が影響をあたえたのではないかと考えている。つまり日本海側の民謡は、太平洋側の民謡と違って、対岸の諸民族の民謡の影響を相当に受けているということであろう。ただ福井県の越前だけが64%、若狭も70%なのは気になるところで、神功皇后と新羅、敦賀で即位式を挙げたその息子の応神天皇、越前坂井から出たという継体天皇の話など、この地域が当時の支配者大王家と関係が深かったことを考えさせるが、それをさらに新羅と結びつけてよいのかどうか、他の分野の方のご意見を伺いたいところである。(了)

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