COCONUTS通信 No.18

テアタ、サーフィン、卒業おめでとう!!
1991年より開始した「笹川島嶼国奨学金事業」で日本に留学していた、キリバスのテアタ・テルベア君とミクロネシア連邦のサーフィン・イレスヤル君がこの3月亜細亜大学経営学部を無事卒業しました。テアタはキリバス外務省に、サーフィンは母校のザビエル高校にそれぞれ就職する計画だそうです。彼等は1991年から計6年間日本に滞在し、勉強だけでなく自国文化紹介や日本各地でホームステイなどの暖かいもてなしを受け、日本文化を体験していきました。母国、太平洋の島とは価値観も習慣
もかなり違う東京での生活は2人にとって苦労も多く、何度かくじけそうになったこともありますが、ミクロネシア大使館、キリバス領事館、亜細亜大学のみなさんを始め、本当に多くの方々に支えられ卒業を迎えることができました。ここにあらためて関係者の皆さまに感謝申し上げます。

あの武蔵丸はトンガ人 ”巨人国”訪問記
―日本財団常務理事 歌川令三―
ハダカの王様は伝説
私のデスクの上に、三人の王様と一人の女王の写真で表紙を飾っているぶ厚い本がある。題名は「トンガ王憲法、制定百年記念の小史・1975年刊」だ。しかもTo Mr. Utagawa, Hope this book will help your understanding of Tonga(この本が貴方のトンガ理解に役立ちますように1996年7月19日)というサインが入っている。贈り主は、この国の総理大臣バロン・バエア氏の娘さんで、ジャーナリストのルセアネ・ルアニさんだ。
半年も”積ん読”をきめこんでいたのだが、先日、この本を通読してトンガ王国の歴史を知り、この国への興味が倍加した。やっぱり旅は、観光と土産と食事だけではない――とつくづく思いつつ、昨年の夏の三日間の短いトンガ紀行の筆をとることにした。
あの国は遠くて不便だ。成田から八時間で、隣の国のフィジーへ、そこから毎日は飛んでいない飛行機で、首都のあるトンガタプ島へ出かけたのだ。日本より時差にして四時間東にあり、日付変更線に密着している。世界で一番早く日の出が見える国ということになっている。泊まったホテルの名が、「International Date Line Hotel(日付変更線ホテル)」で、「時間の始まる国」と看板がかかっていた。
この国の人はとにかく大きい。国王のツボウ四世は身長190センチ、体重は100キロ以上もある。表敬訪問するつもりだったが、心臓病の検査で米国旅行中とのことで、73歳の総理大臣バロン・バエア氏と会見することになった。さて、はたと困ったのは服装である。ツボウ四世のことを日本では”ハダカの王様”と呼ぶ人もあるが、あれは伝説で、正装は半ソデのYシャツとネクタイだという。半ソデのYシャツ探しに首都のヌクアロファの街にショッピングに出かけた。といっても9万6千人がこの国の全人口なのだから、村の商店巡りをしたと言ったほうがより正確かもしれない。だが、やっと見つけたMサイズが、日本サイズではXL、やむなく場違いの長ソデのYシャツで蒸し暑さを我慢した。
バエア総理も巨人である。英人、ジョナサン・スイフトのガリバー旅行記の巨人国のモデルはトンガである、という説は、どうやら本当らしい。だがスイフトの見たトンガ人は、背は高いが、今ほど太ってはいなかった。トンガ人の肥満化は、ここ二十年ほどの現象というが、なぜそうなったかは、後日判明した。それは後述するとして、このすばらしいクイーンズ・イングリッシュを話す総理大臣と対面して、いきなり「関取」を連想してしまったのである。
まずは相撲談議に花が咲いた。「トンガ人は、日本では相撲とラグビーでおなじみなのだが、残念なことに今は上位の力士がいない」と切り出したら、「私の村の出身のペニタニを知らんのかね」とけげんな顔をされた。「ホラ、何といったかなあ」と私の旅行のホステス役をしてくれた娘のルセアネさんに聞く。「ムサシマルよ」と彼女が助け舟を出した。
「エッ。武蔵丸はハワイ出身の米国人では・・・」と私。「彼は正銘のトンガ人さ」とバエア総理。「彼が九歳のとき、両親が職を求めて米領サモアに出稼ぎに行き、そこからハワイに移住した。彼の父親のナヌウ・ペニタニは故郷に戻り老後を送っていたが、昨年の四月、心臓病で亡くなった。私も葬儀に行ったが、フィアマル(武蔵丸)も日本からトンガに戻ってきた。フィアマルはトンガ人であることを誇りにしているし、トンガ人も彼を自慢している」という。
この国の週刊英字新聞トンガ・クロニクルの、葬儀の記事を見せてもらった。大きな写真が掲載されている。ペニタニ家の前で半ソデの喪服と黒のスカート姿の二人の大男が並んでいた。バエア総理と武蔵丸である。身長も腕の太さもほとんど同じ。多分、体重もあまり差がないのではないか。
トンガ国は、2千年の歴史をもつポリネシア人の本家である。10世紀には、武蔵丸の育ったポリネシア人の島ハワイにまで勢力圏を拡大していた。
キリスト教(メソディスト)と「近代」を導入したのも、ハワイより古い。立憲君主国の英国を真似て、憲法を制定したのが1875年。明治憲法よりも10数年早い。それ以前のトンガは、神と王とタブー(禁忌)の支配する島であった。英語のTABOOはトンガ語のTAPUが語源。「勝手にサンゴ礁の外に出るな」「許しなく大きな魚をとるな」「土地は神の子の王のものであり、勝手に耕すな」などなど。違反者は処刑された。
タブーは、限られた空間で一定の人口が暮らすためにあみ出された知恵の産物である。だが、人口が増えるとともに、タブーによる慣習が邪魔になり、欧米の植民地をのぞけば南の島では最初の、近代的成文法をもつタブーはご法
度の王国となったのである。1875年憲法は100年後の1975年の新憲法にバトンタッチしたが、旧憲法にも信教の自由(ただしキリスト教以外の宗教の布教はご法度)、あるいは法の不遡及の原則がきちんと書かれていた。「大きな魚(海亀とかカツオ)を酋長が独り占めにするのは違法」などというタブーを禁じた面白い条文もある。
古くから憲法をもつ王国ではあっても、この島国の最大の泣きどころは土地の制約である。150の島からなるトンガの面積は、島を全部合わせても日本の対馬くらいしかない。だから憲法で土地は王のもので、農家は家父1人当たり8エーカー(3.33ヘクタール)の借地権が与えられるとある。借地権は長子相続である。だから、2、3男はこの王国では暮らしてはいけない。武蔵丸の両親がハワイに渡ったのもそのためだ。トンガ人の海外移住者と出稼ぎは6万人、国内に住むのは常に10万人以下というスリムな人口を保っておかねばならない。
いま、トンガ王国は人口のみならず、人間そのもののスリム化に国をあげて取り組んでいる。ポリネシア人は元来、他の人種に比して体重に対する筋肉と骨の比率が高く、ラグビー、ボクシングなど瞬発性を要求されるスポーツに最適とされていた。しかし若い人々はともかく、中年の太り過ぎが目立っており、この説もだいぶ怪しくなってきた。肥満化の原因は、イモ類と魚介が中心の食生活が、欧風化したからだ。とくに脂身の多い安価な羊のバラ肉をオーストラリア、ニュージーランドから大量に輸入し、これを好んで食べるようになった。魚介類は乱獲によって資源が激減し、一般庶民は高くて手が出せない。それならば、運動によって減量するのが一番というわけで、エアロビクスやジョギングを国が提唱、政府主権の懸賞金つきの減量コンテストに約1000人が参加する。一年に40キロもスリムになった豪の者いるとか。
(*この原稿は「財界」3月11日号(1997)に転載されたものです。執筆者の許可を得て掲載させていただきました。 また、本文中に紹介された「トンガ王憲法、制定百年記念の小史・1975年刊」はSPINF事務局にありますので、ご興味のある方はお問い合わせ下さい。)
<うたかわ・れいぞう>
日本財団常務理事(国際担当)。昭和9年生まれ。
元毎日新聞記者。ワシントン特派員。経済部長、取締役編集局長ののち、63年退社。中曽根康弘・元首相の世界平和研究所設立に加わり、同研究所理事・首席研究員。平成7年から現職。平成8年6月より笹川島嶼国基金運営委員。

本の紹介
昨年1年間、笹川島嶼国基金事業のサポートをしてくれた堀アドヴァイザーが、「南太平洋の日々」という本をNHKブックスから出版しました。
<タイトル> 南太平洋の日々 ―珊瑚海の彼方から― (定価830+消費税)
<発行所> 日本放送出版協会
<発行日> 1997年5月30日
<目 次> ? 失われた楽園
? ゴーギャンのタヒチは、いま
? クイーン・エマとアギー・グレイ ―二人の混血女性の物語―
? 南の島の文化多元主義 ―フィジー・異文化の交差点―
? さまよえる超ミニ国家群
? 「自立」と「共生」の道へ ―トンガ王国より―
<同書籍 帯より>
失楽の400年!南太平洋は悩んでいる。
―地理上の”発見”、ゴーギャンの”楽園”、そして核実験.....。
―植民地主義に翻弄され続ける、大海に浮かぶ無数の島々。
―グローバルリズムの視点から、南の島のいまを見つめる。

ARANUI紀行 1
1997年4月8日、タヒチのパペーテの港に停泊中の貨物船アラヌイ号へ乗り込んだ。これから16日間、マルケサスの島々を巡る航海の始まりである。アラヌイはポリネシア語で「大きな海の道」を意味する。
ハワイのビショップ博物館の考古学者、ドクターシノトウに初めて会ったのは、1991年のタヒチだ。その後、ドクターシノトウの考古学発掘事業に関わることになって、96年の9月、タヒチから飛行機で40分程のフアヒネ、ライアテア、タアーなどを約10日間ほど一緒に回らせてもらった。その時、ドクターシノトウからこのアラヌイの船旅の話を聞いた。ドクターシノトウの話しは、どんな冒険小説よりも面白い、と思う。よく「ポリネシアのインディジョーンズ」、などと呼ぶ人もいるが、作り話と事実は迫力が違う。アラヌイでの航海の話を聞いていたら、いつの日か、カヌーで海を渡った海洋 の民ポリネシア人のように、また遠くヨーロッパから帆船で やってきたジェームス・クック船長たちのように、ポリネシ アの海の道を旅してみたい思いに駆られた。
ドクターシノトウと別れて数か月、そろそろポリネシア熱も醒めかけた去年の12月頃、ハワイから一本のファックス が届いた。「アラヌイのキャビンが一つキャンセルになるかもしれませんよ。」ドクターシノトウからの連絡だ。聞けば、アラヌイは年に13回クルーズを出しているが、ドクターシノトウが乗るのは数年に1回程度だそうだ。ドクターシノトウの口からは4万年前から現在までの太平洋の話が、限りなく流れ出て聞き飽きることがない。しかも、40年以上もポリネシアを調査しているドクターシノトウは、もうその存在自体が伝説に近い。
早速、小切手をアラヌイの所有者で華僑のWon氏が経営するカリフォルニアのCompagnie Polynesienne de Transport Maritimeへ送った。
(SPINF早川)

「Pacific Islands Network in Japan
太平洋諸島関連機関・団体・個人・ダイレクトリー」
島嶼国基金は太平洋島嶼国と日本の相互交流事業を実施するにあたり、国内の有識者、活動家を集め、自由に意見を述べてもらう「島を語る会」事業を1994年から3年間行ってきました。その「島を語る会」から出たアイディアの一つが国内の太平洋島嶼国に関わる人々・機関のダイレクトリー作りでした。作成にあたっては、会議にご参加いただいた方々のボランティアワークと太平洋学会の協力を得て、今年の2月に出版することができました。以下に「島を語る会」を代表して日本・クック諸島友好協会代表/京都大学教授である片山先生に執筆いただきました序文を一部引用させていただきます。
・・・「島を語る会」は正真正銘の任意グループである。太平洋の島嶼国に関心があり、公私のいずれかで何らかの活動に参与したり、それらの国ぐにとの間で人的あるいは物的な交流を願っている人たちの集まりである。太平洋の島嶼国に興味があり、それらの国を愛し、そこの人たちと交流を深めたい人は誰でもメンバーとなれる。そして、たとえばダイレクトリーを作ったりする活動などに参加できるし、ときに開かれる集会に出席できる。
なかでも最も積極的に議論に参加し、鋭い意見を披露したのが、タシ・アフェアキさんであった。「タシ」はポリネシア語のトンガ方言で「一」を意味するが、彼の情熱、バイタリティー、人間性は、どれをとってもナンバー・ワンと言えるような好人物であった。そして賑やかで愉快、天性のエンターティナーであった。
そのタシさんは、しかし昨年の11月13日、故郷のトンガで帰らぬ人となった。とにかく元気で、愉快で、超人的に酒が強かったタシさんが、こんなに急に逝ってしまうとは。正直なところ、まだ現実感などない。次の「島を語る会」あたりに、ひょっこりと現われるような気がしてならない。是非、そうあって欲しい。
何回かの「島を語る会」で、タシさんが最も熱っぽく語っていたのが、国内外に住む太平洋島嶼国を愛する人たちのネットワークを充実することであった。日本中を探すと、あるいは太平洋中を探すと、けっこう沢山の人が太平洋島嶼国との交流活動を繰り広げている。しかし他に誰がいるのか、お互いの横のつながりは、ほとんどない。そんな現状を踏まえて、タシさんはダイレクトリー作りを提案したのである。
これからドンドン充実していくことだろうが、とりあえず「ダイレクトリー」の最初のバージョンを刊行して、「島を語る会」の主であった天国のタシさんに贈り物をしたい。
このダイレクトリーは、国内の太平洋諸島関連団体46件、研究者などの個人情報44件、それぞれ英和併記で作成してあります。ご興味のある方は無料で配付していますので下記のSPINF事務局まで御連絡下さい。但し、数に限りがあるため、お断りする場合がございます。その節はご了承下さい。
<<コンタクト先>>
笹川平和財団 笹川島嶼国基金事業室
〒108 港区三田3-12-12笹川記念会館10F
TEL 03-3769-6359 FAX 03-3769-2090

PEACESATとUSPNET
ハワイ大学とアメリカ政府のイニシャティブで始まったPEACESAT(Pan-Pacific Education and Communication Experiments by Sarellite)は、太平洋島嶼国に教育福祉利用を目的とした通信サービスを無料で提供してきました。1971年に開始したPEACESATはいわば太平洋地域におけるアメリカの軍事目的が一つのきっかけとなってできた、冷戦時代の置き土産と言えましょう。一方、11の太平洋島嶼国が1968年に設立した南太平洋大学はその教育サービスを各島に提供することが当初より大きな課題としてあり、PEACESATのネットワークを利用し、アメリカの思惑とは別にUSPNET構築の努力が進められてきました。
PEACESATはもともとNASAの中古衛星を使用したものであるため、燃料が切れると同時に衛星ネットワークは途切れてしまいました。その後88年に「新たな」中古衛星を手に入れ、PEACESATは再スタートすることとなりましたが、南太平洋大学は次の衛星の確保が定かでないPEACESATを、再度利用する意向はありませんでした。
ハワイ大学内にあるPEACESAT本部はPEACESATの再スタートに際して、新ポリシー策定と関係者への理解促進を目的とした会議開催を必要していましたが、既に冷戦の終結を迎え、太平洋地域に関心を失ったアメリカ政府からの強い支援を得られず、1991年に資金申請が笹川島嶼国基金(SPINF)に提出されました。他方1988年に設立されSPINFは、当時基金運営の方針について模索していた時でもあり、同申請に対して「人材育成」「地域協力」「草の根のネットワーク作り」という観点から2、500万円の支援を決定し1992年2月には東北大学、電気通信大学、郵政省などの協力を得て「PEACESAT仙台ポリシー会議」が開催されました。SPINFはこのPEACESATへの助成をきっかけに太平洋島嶼国における遠隔教育のソフト面に対する支援の在り方について国内有識者を集め、1994年から2年間の調査研究会を発足しました。この調査研究会の中で南太平洋大学が検討していたUSPNET改善案のフィージビリティ調査を行い、より現実的な案を南太平洋大学に提出しました。同案件は日本政府の対話パートナーであるSouth Pacific Forumから正式に日本政府に提出され、外務省内で検討されてきました。そしてこの4月に行われた橋本総理NZ訪問時のボルジャー首相との会談で、このUSPNETを日本とNZの協力の下に支援していくことが話し合われました。
現在島嶼国基金ではグアム大学がミクロネシア地域を対象に行うPEACESATを利用した遠隔看護医療事業に3年間の支援をすることが決まっていますが、今後太平洋地域の情報通信の発展、特に離島への教育や適性技術の応用に主眼を置き、通信内容の改善や政策面から支援していく予定です。
(SPINF 早川)
<参考Web Site>
PEACESAT http://obake.peacesat.hawaii.edu/
University of South Pacific http://sese.usp.ac.fj/

訃 報
クック諸島のKauraka Kauraka氏が1997年4月13日亡くなられたという通知がクック諸島政府文化庁から届きました。遺体は4月17日故郷のManihiki島に埋葬されたそうです。
Kauraka Kauraka氏は民族学者で鼻笛奏者でもあります。若いころ千葉の行川アイランドにポリネシアンダンサーとして滞在していたこともあり、日本やアジアに強い関心を持っていた方です。Coconuts通信NO.10でご紹介した彼の詩を再度掲載させていただきます。オリジナルは電気通信大学の田中正智先生が太平洋学会誌に1995年寄稿したものです。
| "White Turtle" |
下手な訳を試みた。詩人ではないので、正しい訳だと保証はできないが‥‥。 |
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| Even though you see me still yet I am in motion |
止まっていると見えても 実は動いている |
| Your eyes are deceived in thinking I am dead on paper |
死んだと書かれても ほんとうは生きている |
| If you think of ancient creatures I am their ancestor |
古代の生き物達を思え 私は彼等の祖先なのだ |
| All crawling things have my blood |
この地上を這い回るものすべてに |
| I am the only food fit for chief |
私の血が流れている |
| and the chief is food fit for me. |
私ことが主に相応しい糧であり |
| I am the royal heart of wisdom |
主こそが私に相応しい糧となる |
| that will adapt even to radioactivity |
私の心は全能の英知なのだ |
| The white turtle am I |
それは放射能さえも感知する |
| The Most Ancient One is my shell |
私がその白い亀なのだ 私の甲羅が最も古いのだ |
| Tonight I display the symbol of your destiny on my back |
今夜 私はお前たちの運命を甲羅の上に表わす |
| Tomorrow I swim back to the deep |
明日 私は深い水底へ戻ってしまう |
| When you are ready, pay me a visit |
覚悟ができたら訪れよ |
| and recite to me your victories |
そして私に向かって勝利を叫べ |
古代日本のト占を彷彿させるこの”白い亀”の作者は、アヴァルアの国立文化センターのオフィスで、彼の国の文化について熱弁を振るった。"Our cosmology doesn't bear hell"と強調する彼の辞書に”地獄”はないのだ。”この国の人間は、ポリネシアの神である Iyo(イオ)とキリスト教の二人の神を持ちます”というので、”貴女はどちらの神をより信じておいでか?”と尋ねると、一瞬戸惑ったあとの答えは”やはりポリネシアの神ですなー”。
その神イオは、タンガロアのような、偶像を作ることを禁じられているという。そして彼は尺八に似た鼻笛を吹くとイオが自身の心に宿るといって、瞑想しながら、簫条とした音色を聞かせてくれた。
(田中正智/電気通信大学)

笹川島嶼国基金 今年の予定
島嶼国基金では、今年もたくさんの事業を支援、実施します。詳しい内容は事務局までお問い合わせ下さい。
- <6月>
- ・はもちみらい塾主催「島を語る会」 佐渡島にて開催(14・15日)
- <7月>
- ・土方全4巻英訳出版自主事業、監修者懇談会
・「太平洋島嶼国教育フォーラム」助成事業 フィジーにて総会開催
・「遺跡記録者・考古学者助手養成プロジェクト」助成事業 バヌアツにて研修(13〜24日)
・「南太平洋大学日本語講座設置」助成事業 第二セメスター開始
- <8月>
- ・「遺跡記録者・考古学者助手養成プロジェクト」助成事業 ポナペにて研修
・「太平洋地域青少年団体協議会設立」助成事業 タヒチにて総会(4〜12日)
・「太平洋地域青少年団体協議会設立」助成事業 ポリネシアにてワークショップ
・「ミクロネシア看護医療改善のための遠隔教育」助成事業
衛星(PEACESAT)を使用し、授業開始
- <9月>
- ・「遺跡記録者・考古学者助手養成プロジェクト」助成事業 フアヒネ研修(15〜27日)
・「太平洋島嶼国日本語教育評価」自主事業においてミクロネシア出張
・「太平洋島嶼国メディア関係者招聘」自主事業 メディア招聘(石垣島・鎌倉方面予定9月末)
- <11月>
- ・「太平洋地域青少年団体協議会設立」助成事業 ミクロネシアにてワークショップ
・「ミクロネシア看護医療改善のための遠隔教育」助成事業 グアム大学にてワークショップ
・「太平洋島嶼国メディア関係者招聘」自主事業 バヌアツ派遣(時期未定)
・「太平洋島嶼国教育フォーラム」助成事業 西サモアにてサブリジョナルワークショップ開催ハ
- <12月>
- ・「太平洋島嶼国教育フォーラム」助成事業 ツバルにてサブリジョナルワークショップ開催

編集後記
☆昨年4月から島嶼国基金アシスタントとしていっしょに働いている光永さんが、ココナッツ通信の作成を今号から手伝ってくれることになった。構成、レイアウトは結構厄介で時間も取られる作業です。ということで今号はとても楽にできました。
☆4、5月は事業立ち上げで忙しい時期だ。書類作成中、チュックだ、ヤップだ、ワリス、フツナだと一般人が聞いたことのない地名(島)がたくさん出てきて、いちいち説明しなければならない。こういうのがわかるのは職業上当たり前なのだが、いつの間にか島しか知らない”島キチ”にならないよう、6月末休暇を取ってアジア方面、ブルネイ王国へ行かせてもらうこととした。アレッ?ブルネイもボルネオ島にあるんでしたっけ?
【編集:早川理恵子/構成・レイアウト:光永展子/デザイン:R-coco】
[笹川島嶼国基金の設立経緯
]
[ガイドライン]
[事務局の役割・組織]
[事業一覧('90〜'98)]
['97年度の事業報告]
['98年度の事業内容]
[COCONUTS通信]
[やしの実大学]
[HP]
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