COCONUTS通信 No.15
太平洋島嶼国メディア八重山視察太平洋の島々から10人のマスコミの記者が、さる11月9日から12日まで、三泊四日の日程で八重山入りした。一行は、フィジー5人、パプア・ニューギニア2人、クック諸島1人、西サモア1人、トンガ1人で(女性6人、男性4人)、島独自の文化や開発状況を視察するというものであった。二日間の東京での日程をこなした後だけに、自然が似ている八重山に来てホッとしているようだった。植民地としての歴史を持つ国々とあって混血が目立ったが、それでも南国特有のデップリとした大きな体格からは、たくましさを感じた。 一行は、地元八重山の実行委員会の案内で、行政、マスコミ各種団体への表敬訪問や視察を行ったが、南太平洋の国々と似ている八重山に、強い関心を示しているのがよくわかった。 一行が最も盛りあがったのは、竹富島での交流だった。児童生徒を中心とした交流会では、八重山のテンポの早い唄にはすぐ踊り出し、カチャーシーもすぐになれた。やはり沖縄のルーツは南方かと思わされたひとコマである。 長い植民地の歴史を持つ一行の島国は、独立してこれから自立の芽をいかに育てるか、課題は山積しているようである。しかし、天性の楽天性ゆえか、どこへいっても花をとって耳にかざり、音楽を愛し踊りが好きな人々である。 フランスの核実験に怒りを持ちながらも、多くの援助で成り立っている国として、なかなか抵抗ができないもどかしさもあるようだ。沖縄の運命とも似ているように感じた。 石垣島では地元マスコミとも交流し、新聞作りや、記事はどのようなものにウェイトが置かれているかに関心を示した。とりわけ環境問題や伝統文化のあり方などには反応が強かった。 また、高校生とのフォーラムも行われ、活発な意見交換がなされた。真珠養殖、織物工場などに関心を示し、八重山博物館では、南方から流れついた丸木舟をなつかしそうに眺めていた。 一行の中には自らの民族の伝統であるイレズミをしている女性もいた。取材のしかたもガツガツした感じがなく、のんびりムード、どこか沖縄のいい意味でののんびりさに通ずるものがあった。 植民地の歴史のせいで英語が共通語となっているようだったが、ラジオは地元の言葉で放送し人気を得ているそうだ。彼らは今、自らのアイデンティティーの確立にけんめいで、クック諸島というのが、ヨーロッパの名前であることが問題になっているという。そして目下、太平洋島嶼国間のマスコミの連絡機関、PINAを組織しており、それがお互いのアイデンティティー確立の拠点になっているようである。 そんな彼らに接して、無数の島々をかかえているこの南太平洋は、沖縄にとって連帯の仲間であるような気がした。
フィジー共和国紀行南太平洋諸国のマスコミ関係者の八重山訪問については前号で報告したが、今回は、こちら側が、南太平洋のフィジー共和国を訪問した。 滞在は、昨年の12月5日から11日までの一週間。訪問団は、八重山からは筆者を含め2人、奄美大島から1人、東京から3人の計6人であった。 東南アジアは何度か行ったことがあったが、南太平洋はハワイ以外は知らない私にとって、関心の高い訪問となった。 現地では、八重山訪問に参加した南太平洋諸国のマスコミ協議会事務局のニナさんが案内役として活動してくれた。 フィジーはかつてイギリスの植民地であったが、現在は独立し共和国となっている。人口は約77万人。沖縄より少ないが、立派な独立国である。南太平洋のメラネシアにあり、南太平洋諸国の中では中心的な国で、多くの南太平洋の国々では、フィジーを基点として交通網が敷かれている。 人種は、先住民のフィジー人が50%以上で、他はイギリスの植民地時代に入ったインド人。フィジーは、日本の四国よりやや大きい国で300以上の島々で成り立っている。人々は大変楽天的で、どこか沖縄の人々と共通するものがあるように感じた。 主な産業は、さとうきび、パイナップル生産、そして観光というのも沖縄と似ている。観光では外国の大手企業がかなり入りこんでおり、日本の企業が開発途中で停止した“バブルの跡”も見受けられた。 今回の訪問は、現地の人であるニナさんの案内とあって、単なる観光とはおもむきの違ったものとなった。ニナさんの親戚の家や村々を訪れることができ、人々の生活の中に入れたいというのが大きな収穫であった。イギリスの植 民地であったため、多くの人がキリスト教徒であるが、それでもフィジーの伝統は伝えられており、それらにふれることができたからだ。 フィジーの行政、マスコミなども訪ねたが、何といっても小さな村々の人々との交流が心に残った。なかでも「カバの儀式」というのが楽しい。ヤシの実の容器に入れたヤンゴーナという木の根から絞り出した飲み物を、宮古の「オトーリ」みたいに飲むのである。いたるところでこの儀式の洗礼を受けたのにはびっくりした。 多く飲村ではランプ生活が多いが、ヤシの木に囲まれた暮らしは、自然と共生し、独自の文化のにおいの強い生活であると思えた。 観光地にはオーストラリア、ニュージーランド、日本からの観光客が見られたが、東南アジアのような物売りはほとんどなく、ゆっくり旅を楽しめる国でもある。アダンバの葉を利用した民具も多く、八重山と似たところがあり親しみを感じた。 今回の旅で私は、77万人の人口で立派に国をおさめているこの国を見て、120万人以上の沖縄が自立できないはずはないという確信を得たように思う。 (フリージャーナリスト 金城 朝夫) *笹川平和財団島嶼国基金自主事業「太平洋島嶼国メディア招へい」の関係記事です。執筆者から転載の許可をいただきました。同事業に関する簡単な報告書が事務局にございますのでご希望の方はご連絡ください。尚、本年度は宮古島と鎌倉を取材。こちらも簡単な報告書がございます。 <掲載誌> 「けーし風(カジ)」 ー状況に返し風をー 季刊1995.12 第9号/1996.3 第10号 発行所:新沖縄フォーラム刊行会議
「考古学者タオテ・シノトウは革命家だった!」この夏、タオテ・シノトウの考古学発掘現場を初めて訪れました。荒俣宏氏との対談「楽園考古学」(平凡社刊)は以前このココナッツ通信でもご紹介しましたが、そこにタオテ・シノトウのポリネシア冒険談が詳しく紹介されています。タオテ・シノトウ=篠遠喜彦博士はハワイのビショップ博物館をベースにポリネシアを中心とした太平洋地域専門の考古学者です。私が訪ねた島はフアヒネというタヒチ島から飛行機で30分程飛んだソサエティ諸島の一つです。ここで毎年シノトウグループが発掘調査を続けています。シノトウグループにはビショップ博物館の元スタッフで現在ハワイ州考古学部の研究者が3名、ハワイ、アメリカ本土からボランティアで参加したシルバー族の面々約10名。みなさん年齢は確かに70歳を超えているのですが、元軍人という逞しい人ばかり。トラックの荷台に乗って発掘現場に向かう姿は、戦車で戦場に向かうのではないかと錯覚するような光景でした。それに発掘作業に10年近く参加し続けており知識と技術は専門家顔負けです。今回は日本からも2名の女性がボランティアとして初めて参加しました。またハワイ大学の学生や地元タヒチの博物館のスタッフも研修を目的に参加していました。 さて、1995年フランスの無謀な核実験で一躍世界のメディアで取り上げられたフレンチポリネシアは文字通り地球の裏側にあるフランスの領土なのです。昨年まで学校でポリネシア語を使用することは禁止されていました。もちろん異教である伝統宗教、入れ墨文化などことごとく禁止され破壊されてきました。最近になって伝統を見直そうと、景気が悪くなった影響もあるようですが、都市部へ出ていく若者も減り、地元の言葉を学び伝統の踊りや歌を熱心に練習している風景が多く見られるようです。タオテ・シノトウが発掘している「マラエ」は伝統的宗教の祭壇で、昔は人間が生贄として捧げられたところです。(メルヴィル著「タイピー」にマルケサス諸島の人食風習について若干記述があります)この「マラエ」を発掘し修復することは、今では地元の人々から理解を得ていますが、一昔はそれほど歓迎されることでもなく特に教会の人達から何年もかけて修復した「マラエ」の上に家を建てられてしまうような意地悪な行為も受けたようです。(ただし、その家はすぐ台風で吹き飛ばされてしまったそうですが。) 独立や民族の自決といった運動がフレンチポリネシアで今ほどさかんでないころ、タオテ・シノトウの活動を支援した地元の人達が何人かいました。その一人がフアヒネ空港で珈琲ショップを経営するドロシーです。ドロシーはヴェトナム戦争を巡って若者の間で反戦活動が盛んだったころハワイに留学しその洗礼を受けて帰国しました。地元のフアヒネに戻り一人闘志としてグリーンピースの設立にも関わった女性です。 ある時期には伝統的な集会所、ファレポテ(ポテは丸いと言う意味、ファレは家、建物)を海の上に建て、そこでドロシーと仲間達がポリネシアの伝統文化を子供達に教えたこともあったそうです。また、タオテ・シノトウがいない間、苦労して修復したマラエを守ることもしています。 トパティモツ 凧上げとメディア王マードック夫人 革命家タオテ・シノトウ さて、タオテ・シノトウとポリネシアを旅する機会は色々あります。一つは今回私が参加したフアヒネでの発掘調査にボランティアとして参加すること。いま一つはアラヌイというフレンチポリネシアを約2週間回る船でシノトウグループと航海を共にすることです。後者は最近平凡社から「秘境マルケサス諸島」(写真:佐藤秀明/文:篠遠喜彦)という本が出てアラヌイの航海の様子が紹介されています。 (早川理恵子、島嶼国基金プログラムオフィサー)
SPINF News
■島嶼国基金の平成8年度事業は下記の9案件です。
■1996 SPINFカレンダー
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■Eco-Clubのご紹介 ミクロネシアのYAPと青少年の交流を通して、異文化理解、環境教育を促進している団体です。以下同クラブのパンフレットや通信から抜粋しました。11月の佐渡島での「島を語る会」に同クラブから田中さんが参加してくださいました。佐渡島とヤップの交流が始まるといいですね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ エコクラブは「自然と異文化」をキーワードに深い自然体験や人との関わりを通して、本質的なものを探るグループ。同じ志を持つ仲間の、様々な活動を組み立てるための舞台となることを目標とする任意団体。野外活動家、高野孝子が主催。高野は4各国の隊員からなる国際チームのメンバーとして、北極海を犬ぞりとカヌーで1500Kmにも及ぶ過酷な旅をした経験を持つ。 ヤップ島プログラムは1996年5回目を迎える、ヤップ教育庁と共に行っているプログラムで、参加者はヤップの伝統的な自然の恵に頼る生活を体験。自然とくらすことによって、自然と人間のつながりや、生きていくのに必要なことはそんなに多くないことに気づいてほしい。1997年3月に「くるくるヤップ・プログラム」と名付けたヤップの青少年を日本に招く計画が進められています。なお、このヤップ・プログラムの詳しい内容が高野著「野外で変わるこどもたち」(情報センター出版局発行)に紹介されています。
■訃報 ・太平洋地域遠隔教育概要執筆事業でエディターを引き受けていただいていた、University of New EnglandのJohn Chick教授が10月亡くなられました。同教授は南太平洋大学のエクステンションセンター所長として遠隔教育推進に大きな貢献をされた方です。 ・島を語る会に初回から参加し、島嶼国基金の事業にさまざまな形で協力、アドヴァイスをしていただいてたトンガのタシ・アフェアキ氏が11月に亡くなられました。 ここに慎んでお二人のご冥福をお祈りいたします。
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