COCONUTS通信 No.22
毎回太平洋島嶼国で起こったさまざまなできごとに関し、ココナッツ通信編集部がインターネットやさまざまなメディアを利用して世界中の有識者のみなさんに直接問い合わせお答えいただます。
読者のみなさんも、こんなことが聞いてみたい、というようなことがあれば事務局までご連
絡ください。
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ニューサウスウェールズ大学 マッコール教授 |
(Prof. Grant McCall, Univer- sity of New South Wales) |
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最初の国旗についていたユニオンジャックを取り除いたのが、1回目の変更です。これはイギリスが植民地時代(ギルバート諸島・エリス諸島として植民)の借りをツバルの人々に十分返していない、という不満の現われが原因でした。ツバルの人々はイギリス支配下で燐鉱石採掘のためバナバ島で働かされ、後にはナウルへ連れていかれたのでした。
しかし、現実的には独立しても英連邦の一員であることは、そうでないよりもベ
ターであるとの判断をしたのでしょう。1996年秋ユニオンジャックのついた元の国旗に戻したのです。
WWWに国旗の変遷が掲載されていますよ。
http://fotw.digibel.be/flags/tv.html
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ニューサウスウェールズ大学 マッコール教授 |
(Prof. Grant McCall, Univer- sity of New South Wales) |
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昨年フィジーのスヴァで会った西サモアからの会議参加者の発言を覚えていますか?
1997年7月の第1週に国会で国名をサモアとすることを正式に決めたと言っていましたよね。
理由はサモアはサモアであり、アメリカンサモア(米領)と区別される必
要はないから、というものでしょう。
http://fotw.digibel.be/flags/ws.htmlも参考にしてください。
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クイーンズランド工科大学 クアンチ教授 |
(Dr. Max Quanchi,Queensland University of Technology) |
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なぜなら、西サモアと命名したのは植民地時代のことで、しかも宗主国がしたことだからです。
彼等は彼等で名前を決めたかったのです。(でもアメリカン・サモアは西サモアだけ国名をサモアにしたことが面白くないようですがね。)
注:サモア王国が1873年10月2日〜1886年1月28日と1888年〜1900年4月27日に存在した。
独、英、米の植民地競争の中で西経171度線を境にドイツ領とアメリカ領に分割。前者は第1次世界大戦後ニュージーランド管理下を経て1962年に独立。
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ルビー卒業おめでとう |
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▲笹川平和財団入山理事長と 卒業を記念してツーショット |
亜細亜大学の経営学部に留学中のルビー・アー・ユック(Ruby Ah Yuk 26歳)さんがこの3月めでたく卒業しました。現在日本の企業で就職する準備を進
めています。
1992年フィジー共和国から来日し、1年間の日本語コースを終了後、亜細亜大学に入学。在籍中は学業のみならずさまざまなコミュニティー活動にも参加し、自国文化の紹介などにも努力しました。太平洋学会が主催したシンポジウムで「太平洋の世紀に生きる」と題した論文も発表。(同論文はインターネット「やしの実大学」に掲載されていますwww. yashinomi. to/)
本人は将来、日本と太平洋島嶼国をつなぐビジネスの世界で活躍したいそうです。
3月、卒業を迎えるにあたり母国からご両親が来日されました。フィジー大使館のゲラ参事官と坂下光夫商務官、ミクロネシア大使館のジョン・フリッツ書記官と中島初恵氏らも集まり、ルビーの卒業祝とご両親の来日祝をかねたパーティを開催させていただきました。
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▲亜細亜大学卒業式に出席するためフィジーから来日した ご両親と |
この場をお借りして、お世話になった亜細亜大学の皆様、フィジー共和国大使館の皆様、太平洋学会の中島洋専務理事、アドバイザーの水迫尚子さんはじめ、多くの関係者の方々に感謝申し上げます。
1991年より開始しました島嶼国基金の「島嶼国奨学金事業」は合計5名の留学生を受け入れ、ルビーの卒業をもってその内3名が学位を取得し終了します。
日本と島嶼国の相互理解を促進するために日本を知る島嶼国の若者の育成は重要なことと認識しております。民間団体として今後どのように事業を展開して行けばよいか、同事業に関するみなさんのご意見やご感想をお聞かせください。
[SPINF事務局]
1994年から3年間、日本の離島、奄美大島、八丈島、佐渡島などで、太平洋の島々と日本の交流や協力関係のありかたについてざっくばらんに話しあおう、と「島を語る会」を8回ほど開催してきました。
国内のジャーナリスト、NGO、外務省、JICA、旅行会社で島関係の仕事している方々、フリーライター、写真家、文化人類学者、各開催地の島で地域興しの活動をしている人々、それに太平洋島嶼国から留学している学生や在日大使館職員など、あらゆるジャンルの人々が集まり、肩書きを捨てて、潮騒に包まれながら、思っていることを自由に語り合いました。
その中で、太平洋島嶼国を知る努力が継続的に行われることが確認され、「やしの実大学」の実施が提案されました。
この「やしの実大学」は基金自主事業として平成9年度より開始。国内の太平洋島嶼国理解を促進するために、一つにはインターネットで情報を国内に向けて発信するバーチャルクラスを設けるとともに日本のどこかの島で、公開講座を開催するものです。
昨年は八重山諸島においてハワイ、ニウエ、サモア、パプア・ニューギニア、オーストラリア、そして日本本土と沖縄、地元八重山の専門家を招き、フィールドスタディや公開講座を実施。たくさんの方の参加を得ることができました。この度その報告書が完成。
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笹川陽平 <日本財団 理事長> |
渡邊昭夫 <青山学院大学 教授>(新) |
横堀洋一 <和洋女子大学 教授>(新) |
歌川令三 <日本財団 常務理事> |
入山 映 <笹川平和財団 理事長> |
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渡邊昭夫 青山学院大学 教授 国際政治学者 |
渡邉委員は社団法人研究情報基金の南太平洋委員会の委員長を長年勤められ、1988年には日本で初めての太平洋島嶼国に対する政策提言書『太平洋島嶼国に対する日本
の援助への提言』(社団法人研究情報基金発行)をまとめられました。また、同委員は大平正芳首相が主催した「太平洋連帯研究グループ」のメンバーとして太平洋島嶼国の研究を進めていらっしゃいました。「沖縄問題」でオーストラリア国立大学よりPh.D.学位、東京大学教授を経て現職。
著書に『アジア・太平洋の国際関係と日本』(東京大学出版会、92年)
など多数。 |
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横堀洋一 和洋女子大学 教授 国際派ジャーナリスト |
横堀委員は共同通信社にてシンガポール支局長(1972─1976)同シドニー支局長(1980─1982)を勤められ1983─1993年には同編集委員としてご活躍。1988年には政府派遣「青年の船」教官としてオセアニアを再訪されています。共同通信社同シドニー支局長時代には島嶼国も担当。これまで世界約80ヶ国を取材訪問されました。また、40年前に沖縄問題をヤマトウンチュジャーナリストとしてはじめて真剣に取り上げ、特に沖縄のメディアの方々の間で高い評価を受けていらっしゃいます。
著書に『アジア・太平洋特派員―取材ノート』(五月書房)など多数。 |
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▲フィジー共和国のカミセセ・マラ前首相と ('88年太平洋島嶼国会議にて) |
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▲トンガ王国のツゥポウトア皇太子と ('88年太平洋島嶼国会議にて) |
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▲パプア・ニューギニアのミカエル・T・ソマレ外務大臣と ('88年太平洋島嶼国会議にて) |
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▲ミクロネシア連邦のジョン・H・ハグレルガム大統領 キリバス共和国のイエレミア・T・タバイ大統領と ('88年太平洋島嶼国会議にて) |
Q
委員長から新運営委員のお二人に期待されることは?
お二人とも、すでに国内においては太平洋島嶼国の専門家として有名でいらっしゃいますが、今までの思い、アイデアを島嶼国基金を活用し実践していただきたいと思います。
Q
基金設立の背景をお伺いできますか?
私の太平洋島嶼国に対する思いは二つあります。昔世界保健機構(WHO)の西太平洋事務局長に日本からは中島宏氏を推していたのですが、票が足りそうになく外務省から協力を依頼されました。父、故笹川良一はトンガ王国の名誉領事を務めさせていただき、またパプア・ニューギニア(PNG)のマイケルソマレ初代首相(Rt. Hon. Michael T. Somare)との交友も深くPNGの独立を陰ながら支援した関係がございます。結局中島氏は1票差で選出されトンガとPNGの2票が効を奏した訳です。島嶼国はこんな点でも日本にとって大切な地域と言えるわけです。
2番目に太平洋の島々には日本が第2次世界大戦中にご迷惑おかけしたこともありますし、今でも日本への親近感をもっていらっしゃる地域もあると聞いております。この地域へ少しでもお役に立つことをするのが日本人の使命だと考えております。外務省、政府海外援助だけではなく民間レベルで継続的なおつきあいをしていく必要があると考えておりました。
Q
この10年間の基金事業をどのように評価されますか?
試行錯誤の10年だったと思います。太平洋島嶼国と言いましても、各国歴史も文化もそれぞれ違うわけですから、それに地球の3分の1を占める同地域を対象に限られたスタッフで基金運営する限界はあったと思います。但し、当初からオーストラリア、ニュージーランドといった、昔からこの地域と付き合いのある国が培ってきたことを尊重し、彼等との関係も重視してきたことは正しかったと思います。
今は物質的にも精神的にも日本人そのものに余裕がない時期ではありますが、島嶼国基金は小さな存在の中にも重要な仕事が課せられていると思います。
Q
最後に委員長ご自身の島嶼国に関する思い出を お聞かせいただけますか?
太平洋の島々をひとつにまとめ会議を開催し基金を設立することは一大事業でした。結局10名の太平洋島嶼国の国家指導者をお招きすることができ、外務大臣を努められた故倉成正氏を議長に迎え、盛会に終えることができました。大平内閣以来の政府がしたかったことを我々が実現したわけです。さらに、会議終了後みなさんを中国へお連れし、当時の李鵬首相との会談を実現しました。10名近い国家指導者が中国を訪問したのはあれが最初で最後でしょう。2Kmの車の列が北京の町をあっちこっち動き回ったわけですから、それは壮観でしたね。何よりも10億の国民をもつ首相と、数万の国民しかもたない島嶼国の首相が対面したことが印象的でしたね。
それと、国際交流、国際協力活動は個人の触れ合いから始まるものだと考えていますが、フィジーを訪問した際、カミセセ・マラ前首相(現大統領)と楽しい一時を過ごせたことが思い出に残っています。この時、あの広大な太平洋を衛星で結び人材育成を実施するという、南太平洋大学の遠隔教育ネットワークUSPNETの再構築を支援できないかというお話をいただいたのです。
その後、基金としてフィージビリティスタディをするなど関与してきましたが、日本政府の海外援助として、しかもオーストラリア、ニュージーランドと協力する形で実現されるに至ったことは喜ばしいことです。これもカミセセ・マラ前首相との出会いがなければ起こらなかったことです。
新運営委員にはぜひこのような個人同士の信頼関係を築いていただければ、と期待しております。
[笹川島嶼国基金の設立経緯
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