COCONUTS通信 No.20






第6回太平洋島嶼国メディア関係者招へい事業の紹介

 
▲第6回 太平洋島嶼国メディア関係者招へい事業で来日した
パプアニューギニア、バヌアツの記者達を囲んで
 
 

 笹川島嶼国基金では1991年より毎年太平洋島嶼国からメディア関係者を日本に招いています。彼等は日本で取材し、帰国後帰属するメディアで自分が直に見た日本の姿を紹介しています。
 今までは1週間の滞在で、駆け足の取材であったこと、帰国後どのような記事が書かれたたのか、なかなかフォローができないことを反省し、今年から新しい試みとして1名の3週間の長期招へいを行いました。同プログラムには第2回事業に参加したことのあるパプアニューギニアのポスト・クーリエ編集長、オセア・フィレモン氏が来日。東京を拠点に、関西、栃木、佐渡島へも取材に出かけ、滞在中に10本近くの記事を母国に配信。また、地域のメディア機関PINA(Pacific Islands News Association)やPacNews(太平洋島嶼国の配信システム)に載せ、広く彼の記事が各島嶼国で紹介されました。

 また、従来の短期招へいとしてバヌアツから3名のメディア関係者が来日しました。彼等は石垣島で4日間過ごし、栃木での米刈体験、鎌倉でのコミュニティFM局視察などを実施。石垣島での受け入れはこれで2回目ですが、地元八重山記者クラブが今回も受け入れ実行委員会を組織し、地元メディアでの研修、県立八重山高校の学生とのディスカッション、竹富島での町並み保存運動取材など、中味の濃いプログラムが組まれました。彼等の島視察は地元の八重山毎日新聞、八重山日報、沖縄タイムス、NHK, 琉球放送、石垣ケーブルテレビなどで紹介されました。

 この12月には受け入れをしてくださった石垣島から2名、また、昨年の受け入れをお願いした宮古島から1名がバヌアツに取材旅行する予定です。



最後になりましたが、今回の取材協力をいただいた皆さまのお名前を上げさせていただきます。ありがとうございました。
[SPINF事務局]

(順不同)
石垣島市役所、沖縄県八重山支庁、八重山記者クラブ、八重山高校、竹富島の皆様、鎌倉FM、鎌倉メディアセンター、佐渡島のはもちみらい塾、国際協力事業団・神奈川国際水産研修センター、太平洋諸島センター、パプア・ニューギニア大使館、三菱マテリアル(株)、俵忠彦BHP Japan副社長、東京大学大塚教授、堀内貿易(株)、(株)サンバッグ坂本、(株)協染、外務省太洋州課、はが野農協茂木支所

同招へい事業で来日したポスト・クーリエ編集長、オセア・フィレモンが書いたPINAを通じて各メディアに配信された記事をご紹介します。

 
 ▲佐渡島はもちみらい塾のみなさんと
家庭料理を楽しむオセア・フィレモン編集長
 
 南太平洋の国々は、日本の経済界にそれぞれのアイディアを売り込む前に、まず、どのようなタイプの投資を日本から必要としているのかを明らかにすべきだと、東京にある太平洋諸島センターの所長は語った。
 小滝義昭所長によると、多くの国々が競って日本からの投資を求める中にあって、小さな島嶼諸国は、日本の投資家に我が国に来て投資してくださいと頼む前に、どのようなタイプの投資を求めているのかをきっちりと明らかにすることが重要である。
 日本の投資家に海外投資するよう説得することは容易ではないと言う。島嶼諸国からある特定の産物を購入するように説得することさえ、容易ではないそうだ。
 島嶼諸国は、どのような投資機会を日本の投資家に提供できるのかを明らかにすべきだと小滝所長は語った。
 太平洋諸島センターは正式名称を南太平洋経済交流支援センターと言い、日本政府と南太平洋フォーラムの事務局とが共同で設立した国際機関で、太平洋諸国の政府や企業ばかりでなく、日本の経済界にも、貿易、投資、観光に関連する情報とサービスを提供している。
 同センターは、日本・太平洋諸国間における貿易、投資、および観光に関する問合わせに対処したり、貿易/投資/観光のイベントの準備や手配に従事したり、南太平洋での起業に関する助言を日本の事業家に、また日本での起業に関する助言を南太平洋の事業家に提供するほか、日本での島嶼諸国への認識を高めるために宣伝やプロモーション活動を行うことなどを主な業務としている。
 小滝所長によれば、アジア諸国は、日本からの投資を呼び込むのにより積極的であり、充実したインフラと堅実な投資環境を背景に、成功を収めているようである。
 小滝所長は、太平洋諸国は投資先としての自国の可能性を海外にアピールすることにあまり積極的ではなく、熱意が感じられないと評し、この地域での投資を増大させるためには、「いくつかの太平洋方式にさようならすべきだ」と続けた。
 小滝所長によると、太平洋地域の情報を求める企業から相次いで問い合わせが来てはいるものの、設立から12ヵ月が過ぎた現時点で投資に踏み切った企業は1社もない。
 オフィスのフロントには、島嶼諸国の様々な産物の見本が展示されている。フィジーのショウガやヤシの実の石鹸製品の他、売れ筋になりそうなキリバチ産の天然塩、パプアニューギニア産の缶コーヒー、バヌアツのヤシの実石鹸、マーシャル諸島のツナ・ジャーキーに、カッサバから作ったトンガ産の蒸留酒などが並んでいる。
 南太平洋フォーラムのリーダーたちは来月東京で日本の首相や他の政府要人と会談することになっているが、その際には、貿易や投資そして観光などについても話し合いが行われる予定になっている。今回の会談は、南太平洋の小さな島嶼諸国の経済自立を支援する手だてを探るために、日本政府が提案したものの1つである。





母校、ザビエル高校[FSM,チュック]で教鞭をとるサーフィンに再会

 この9月に、グアム、パラオ、チュック、ポナペ、マジュロと約3週間出張してきました。主な目的は昨年から名古屋外国語大学大学院のカッケンブッシュ 知念 寛子教授と国際日本語普及協会の西尾珪子理事長にお願いしている「太平洋島嶼国の日本語教育調査事業」の実地調査です。
 でも、一番楽しみにしていたのが、Coconuts通信18号でご案内した、今年3月に亜細亜大学を卒業したサーフィンに、チュックで再会することでした。彼は予定通り、母校のザビエル高校で教師として働いていました。日本語、公民、ミクロネシアの社会と3科目を100人近い学生に教えていました。ザビエル高校はパラオ、マーシャルを含めたミクロネシア地域でエリート校として有名です。各国の数多くの首相、大臣、司法官、そして教育者が同校を卒業しています。 ザビエル高校は町から離れた、景色の良い、高台にあります。カッケンブッシュ先生、西尾先生といっしょにトラックに1時間ほど揺れ、訪ねました。
 まだ、サーフィンは先生になって数ヵ月のはずですが、教壇に立つ彼は、見違えるほどりっぱでした。また、広い自分の研究室もあてがわれていました。
 急遽、日本から先生の知り合いが来校したということで、日本に関するQ&Aが始まりました。生徒たちの日本に対する興味は高く、質問は矢継早に出されました。また、日本に来たことのある学生もいましたし、親から日本語を学び、流暢な日本語を話す学生もいました。そして、驚いたことに、ほとんどの学生が将来日本で勉強したい、と希望を持っていました。
 サーフィンの6年間の日本滞在は、着実にミクロネシアと日本の掛け橋として貢献しているようです。
 私たちをホテルまで見送ってくれたサーフィンに「先生、大変じゃない?」と聞くと、「うん、生徒が勉強してこなくて。。。」「あれ、急に立場が逆になったね。」と返したらニヤッと笑ったサーフィンの顔が日本にいたころの学生時代にちょっと戻ったように感じました。

 ところで、ザビエル高校は昔、日本軍が通信基地として使っていた建物を校舎として利用しています。日本から観光客も多く訪れるそうです。学校の方針として、そういった観光客に無料で解放し、また、案内も学生がしているそうです。私たちの案内をしてくれたPolloi校長に「観光客が寄付金を入れる箱でも作ったらどうですか?」と提案したところ、「実は階段の陰にひとつ置いてあるのだけれど、あまり気付かれない。ミクロネシアの人々の性格で、お金を要求するような態度をあからさまに見せたくないからだ。」との説明。もし、みなさんが訪れる機会があれば、階段の近くを探してみてください。500ドルあれば一人の学生が1年間勉強できるそうです。

[SPINF事務局]




▲左からカッケンブッシュ先生、西尾先生。サーフィンの研究室で

 

▲ザビエル高校校舎

▲サーフィンのクラスの生徒たち。歌を歌って歓迎してくれました

▲左から2番目がPolloi校長。サーフィンのクラスを参観

▲Polloi校長先生は元平和部隊隊員。パラオに赴任し現地の方と結婚。パラオに永住し3人の男の子を育てた。ザビエル初の女性の校長として、この8月に赴任したばかり

▲ザビエル高校、第二次世界大戦中に日本軍の通信基地だった建物

▲高校の屋上から見下ろした風景






私の”南太平洋学”五つの発見
[日本財団常務理事/歌川令三]

 酋長の娘、色は・・・
 「変な名前のはるか遠い国、汝らは旅人を釣りに来る。魅惑、興奮、様々な娯楽への約束と、珍しい食べ物への欲求というエサで。人間の旅への衝動は、文明の発生と共に始まった」。簡にして要を得て、しかも詩的でなかなかの名文である。この短文、実は私の作ではなく、旅に出かけるとき必ず持参するアメリカの英文百科事典のディスク、COMPTONS CONCISE ENCYCLOPEDIAの"TRAVEL"の項目の書き出しであり、それを仮訳したのだ。
 今回は南太平洋の2つの島国、フィジーとトンガに出かけた。変な名前のはるか遠い国、話には聞いていたが、やはり百聞は一見に如かず、と言いたいところだが、一見もさることながら、この2つの国の人々との対話は、私の南太平洋観に、それこそ革命的な変化をもたらしたのだ。 7回も出かけたハワイを別にすると、南太平洋の島嶼国への旅行は初体験であった。だが、雑学的予備知識は結構もっていたが、それを組み合わせて頭の中で作りあげていた私のイメージと実際の見聞との間には、相当のズレがあった。
 以下は、私の見つけた”南太平洋学”5つの収穫。「財界」読者のビジネスマン諸兄、あなたのもつ、南太平洋、もしくは南洋イメージと、ひとつ合わせ鏡をしてみてはいかがでしょう。

1.びっくりするほどの英語力と知的水準
 トンガ王国に出かけるには、成田空港からエア・パシフィック(フィジーの航空会社、オーストラリアのカンタスと提携)で、まず8時間半、フィジーのナンディに飛び、そこから2時間、首都(といっても小さな村落)のあるトンガタプ島に飛ぶ。往路、私の座席は「2B」。フィジー人の知識人は、フィジーの南太平洋大学や、オーストラリアやニュージーランドで修士号や博士号を取得する人が多い。学校教育は英語が主力。英連邦の共和国の一員である。だから英語は、ネイティブスピーカーであり、日本人の英語より上手であることはわかっていた。
 だが、それは私の予想をはるかに上回っていた。小生、ちょっと無理しちゃって、「私の座席どこ、2Bオア・ノット・2B」と洒落を言ったら、”南洋の美人”のスチュワーデス嬢、ケラケラと笑いだし「That is a question」と続けたのである。オーストラリアやアメリカの一般人よりも、はるかに教養が高い。蛇足ながらこの洒落の出典はシェークスピア、以上、念のため。

2.”南洋”は、一つにあらず
 私はあまり若くないので、いくつかの、昔の南洋イメージが、頭にこびりついている。昔の酒席の歌に「私のLoverさん、酋長の娘。色は黒いが南洋じゃ美人」というのがある。だが、南洋といってもいささか広い。フィジー製の南太平洋総図を見ると、この地域の島嶼はハワイも含めると政治・行政・文化・人種などの違いから22にもグループ分けされている。
 島の数は、今もっていくつあるのか定説がなく、要するに無数。人口は全域で572万人しかいない。酋長の娘の歌は、22の島嶼グループのうち、比較的日本に近いマーシャル群島が舞台で、第1次大戦後、戦勝国日本がドイツ領を信託統治したころの日本の流行歌だ。ちなみに昔のマンガ「冒険ダン吉」の舞台はトラック諸島。同じ美人でも文化人類学的には別人種なのだ。機中、たまたま隣り合ったフィジーと東京を17年間往復する日本人ビジネスマンO氏は、こうぼやいていた。
 「そう。全くそうなんですよ。数年前、フィジーのナンディに日本料理屋を開店したんですがね。去年から売上ががっくり落ちました。日本人観光客が激減したんです。フランスの核実験以来です。ムルロワ環礁ははるか東の仏領ポリネシア。もともと、地理的に関係ないんですよ。しかもフィジーよりハワイに近いんです。それなのに日本人はフィジーを避けて、ハワイに行く。南洋は1つじゃないこと、日本人にはわからんのですよ」と。

3.複雑にからみ合う南の島の地政学
 フィジーの首都スパの南太平洋大学には、日本財団が1億円の奨学金の基金を寄付している。学部長以下、数人の国際関係論の教授たちと懇談したが、「Geopolitics」(地政学)という用語が、しばしば出てくる。欧州やロシアの地政学の話ではない。南太平洋諸島の12カ国の独立国の相互関係における地政学なのだ。ここでも、南太平洋の島嶼国は、文化人類学のみならず社会科学的にもひとつではないことを思い知らされた。これらの国々は、貿易、観光、漁業などで、ごく緩やかな共通の委員会機構を設立してはいるが、実際は、個々の島々の”島益”が先行する。
 ポリネシア(多くの島)、ミクロネシア(小さな島)、メラネシア(黒い人の住む島)。これは18世紀以来、島々をそれぞれ支配した文化人類学上の見地からの欧州人の命名だが、独立後の政治的立場もそれぞれ微妙に異なり、近い仲であるが故に「愛と憎しみ」が共存する。「フィジー、西サモアを大殺戮。1分で死に至らしめる。60対0でサモアの血を抜く」。これは両国のラグビー戦を報じた新聞の見出しだ。互いにライバル意識が強く、難しい関係が南太平洋には存在している。

4.顔の見えない日本のODA
 フィジー共和国(人口75万人)、西サモア国(人口16万人)、トンガ王国(9万3千人)、キリバス共和国(7万6千人)、ツバル国(9千人)、ナウル共和国(8千人)、パプアニューギニア(大国日本の25倍、人口4百万人)、ソロモン諸島(34万人)、バヌアツ共和国(1万2千人)、マーシャル諸島共和国(5万3千人)、ミクロネシア連邦(10万人)、パラオ共和国(1万6千人)。以上が、南太平洋の12の共和国である。これらの国々に日本のODA(政府開発援助)は、かなり積極的に投入されている。
 第1位は、この地域に、歴史的にも政治的にも地理学的にも、最も強い影響力をもつオーストラリア、ニュージーランドなどの旧宗主国だが、日本も2位から5位にランク付けされている。港湾、道路、建物など”ハコ物”が主流で、お金を出すわりには、日本の影が薄い。
 旧宗主国が文化的、政治的にも、強い影響力を残し、独立後も、政府やNGOに人材を送りこみ、PTAオジサン、オバサンの役割を維持しているからだ。こうした宗主国PTAを切り崩し、南太平洋に日本の足跡を残すには、教育や留学生制度などのソフトの援助が欠かせない。親日国とされているトンガに、大東文化大卒の大臣がやっと1人誕生した。日本の社会人リーグで活躍するラトウのラグビー部の先輩にあたる。12の共和国中、たった1人の例外的存在でしかないのがさびしい。

5.広くて、奥の深い南太平洋
 日本人は南太平洋の島々を、ハワイの次にランクされる2流の観光地としか位置付けていない。「フーン。変わったところへ出かけるんだね」とニヤニヤされる。「ミュージカル”南太平洋”の愛の楽園か」という類の反応があれば上々である。20年前、台湾とか韓国に行くといったら、別の意味でうらやましがられたり、ニヤニヤされた。日本人の旅行観は韓国、台湾についてはそういう段階をやっと卒業した。日本人の旅人が、広くて、奥の深い南太平洋を習得するのは、いつの日であろうか。

※この原稿は「財界」8月27日号(1996)に転載されたものです。執筆者の許可を得て掲載させていただきました。





ARANUI紀行[2]
[SPINF/早川]

  
 ▲マルケサスの伝説に残る勇者、KEIKAHANUI(ケイカハヌイ)
全身に入れ墨をしている

 太平洋の真ん中、ハワイから約3、000キロ北東に位置するマルケサス諸島は世界の旅行者にとって伝説的な場所である。19世紀、ハーマン・メルヴィル、スティーブンソンらによって書かれた南太平洋冒険小説の舞台となり人々の心を捉えた地である。今回のアラヌイ航海への参加を、長年ポリネシアで古人骨の研究を続ける京都大学の片山教授に報告したところ、「マルケサスは世界を旅行しつくした、老齢の旅人が最後に訪れるところである。あなたが行くなんて贅沢だ」というお言葉をいただいた。
 フランス領が太平洋の楽園にまだ存在することは、一昨年世界で話題となったムルロア環礁の核実験で知れ渡ったことだろう。マルケサス諸島はその仏領ポリネシアの一番北に位置する。行政の中心地であるタヒチがあるソサエティ諸島、世界一大きなランギロア環礁のあるツアモツ諸島、ムルロア環礁があるガンビア諸島、そして最南端に位置するオーストラル諸島とその全域はヨーロッパの大きさに匹敵する広さである。他に南太平洋のニューカレドニアも仏領である。
 アラヌイ号はもともと貨物船で、1984年からツアモツ諸島とマルケサス諸島に物資を運ぶ航海を年13回、行ってきた。但し決して儲かるラインではなく、華僑のオーナーのアイデアで1990年に貨物と共に観光客を乗せる船に改造。現在では2、000トンの貨物の他に100人の乗客を収容できる。乗客の殆どは故郷のマルケサスに帰る地元の人々か、逆にタヒチに出稼ぎや学校に行く人々であるという。海外からの観光客は主にフランスとアメリカからで、最近96年後半から急に増えてきたそうだ。
 アラヌイ号はパペエテを出発した後、ツアモツ諸島のタカポトに寄り、マルケサス諸島の6つの島々を巡る。帰りはランギロア環礁を経由し、16日間の航海を終え、パペエテに帰る。マルケサスの6つの島はウアポウ、ヌクヒバ、タフアタ、ファツヒバ、ヒバオア、ウアフカ。貨物の積み卸しには1日を要する。私達観光客はこの積み卸しの作業が行われている間に島に上陸し、篠遠博士、またクルーの案内で探検をするのだ。大きな島では分散している村々にそれぞれ寄港するため数日を要することになる。
 アラヌイ号には30人ばかりのポリネシア人のクルーが乗っている。他にはハイジとダイアナというヨーロッパ人のクルーがいて彼女達は私達観光客専従である。ポリネシア人のクルーは見とれるほど艶めかしく美しい女性達と伝統的な入れ墨をほった逞しい男達だ。(入れ墨はもともとポリネシアの伝統文化で、位が高く勇者であることを証明するものだったが、キリスト教の伝来と共に禁止された。しかし最近ではポリネシアンアイデンティティの復活運動の中で、若者の間でリバイバルしてきたのだそうだ。)彼らと16日間の航海を共にし、ポリネシアン文化に直接触れること自体がこのアラヌイ航海の醍醐味である。

 4月7日、日本からの直交便でタヒチに到着。10時間のフライトだが日付変更線を越えるので同日に到着する。
 ロイヤルパペエテホテルはタヒチの中心地の繁華街の中に建つ古いホテルで、目の前に車が頻繁に通るポマレ通りがあり、その先がモーレア島行きの船着き場となっている。戦争中は米軍兵士がよく利用したそうだから、かれこれ50年の年代もののホテル。ここは篠遠博士の定宿でアラヌイ旅行者の指定宿となっている。ここで、先にハワイから到着した篠遠博士と再会した。博士は現在発掘をすすめているフアヒネ島で既に一仕事終え、タヒチに戻ってきたばかりだ。相変らず精力的に動き回っている。
 今回のアラヌイ航海は篠遠博士が参加するというので、考古学やポリネシアに興味を持つハワイの人々が篠遠グループとして11名乗り込んだ。それと昨年「秘境マルケサス」というすばらしい写真集を篠遠先生と出された、写真家佐藤秀明氏とそのご夫人、それに親戚の方が参加。よって、私も入れた5名の日本人と11名のハワイアン計16名がシノトウグループとしてアラヌイに乗り込む。
 翌日はアラヌイの出発の日だというのに、朝から雨が激しく降り続いた。厚い雲が空を覆ってパペエテの町は昼から薄暗い。海が荒れたらきついだろうと、航海中の天候が気になる。午後4時に篠遠博士の古い知り合いだというル・トラックがロイヤルパペエテホテルに私達を迎えに来た。港まで10数分。アラヌイはクレーンで貨物を積み込んでいた。いつしか雨は止んでいて、雲が切れ、夕陽が船を照らしていた。







マカ・パシフィック(MACA PACIFIC)のホームページ開設のご案内
http://www.maca.to

 JAPIC日本太平洋諸島交流会の主宰者でもある、ナオコ・アフェアキさんが運営するマカ・パシフィックのホームページができました。このココナッツ通信でも何度か登場いただいた、トンガ人で今は亡きタシ・アフェアキ氏の奥様です。タシさんの意思を継ぐべく、単身トンガに渡りトンガの情報発信を日本に向けて活発に行っています。JAPICの活動はボランティアですが、MACA Pacificは旅行会社です。ただし、ちょっと変わった旅行会社だと思います。以下に同ホームページから「マカ・パシフィックが目指している旅行の概念」を転載します。

  • *旅行中は謙虚な気持ちを忘れずに、また、地元の人達との出会いや語らいに積極的に取り組 んで下さい。
  • *地元の人達の感情を害さないように注意してください。
  • *「見る・聞く」という消極的な姿勢でなく、「観る・聴く」という積極的な姿勢を持って下さい。
  • *自分のものより劣っているのではなく、自分のものより異なる時間の概念や価値観が存在するのだというとを認識してください。
  • *単に珍しさを追求するだけでなく、異なる国の文化的豊かさやゆとりのある生活感などを発見して下さい。
  • *地元の習慣を学び、それらを尊重してください。
  • *自分は数多い旅行者の一人でしかないことを自覚し、自分だけが特別だという錯覚を起こさないようにして下さい。
  • *日本に居るときと同じ快適さを求めるなら、なぜ、自分は海外旅行をしているのかを自問してみて下さい。
  • *旅がスケジュール通りに進まなくても、ハプニングも旅の要素だという心のゆとりを持っていて下さい。

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