日本財団 笹川陽平理事長パプア・ニューギニア訪問
2002年11月10日〜13日、日本財団笹川陽平理事長が成田からの直行便を利用しパプアニューギニア(以下PNG)を訪問。この8月に再選されたマイケル・ソマレ首相に久々に会うためだ。以下はPNG滞在中に行われた太平洋報道協会事務局長ニナ・ラトゥレレ氏による単独インタビュー。
ラトゥレレ:
今回が始めての訪問だそうですね。PNGを訪問された目的は?
笹川:
マイケル・ソマレ閣下とは30年来のおつきあいです。私の父、故笹川良一が慰霊のため1970年12月PNGを訪れた時今回私も訪問させていただきましたウェワックで当時野党の若きリーダーであったソマレ閣下に出会ったことが始まりです。その後ソマレ閣下を日本にお招きし、当時の故佐藤栄作首相への表敬など日本とのパイプ作りを支援させていただきました。また、父は自分のポケットマネーで1972年に独立を見据える為に実施された重要な総選挙でソマレ閣下の選挙活動を支援しました。今回はソマレ閣下が首相に再々選されたと伺い、お祝いに駆けつけたわけです。
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マイケル・ソマレ首相と |
ラトゥレレ:
ウェワックには私も同行させていただきました。日本財団がWHOを通じてハンセン病制圧に大きな貢献をしてきたことを初めて知りました。なぜハンセン病なのですか?
笹川:
父は大阪の比較的裕福な家に生まれましたが、若い頃心を寄せていた近くに住む若い娘さんが突然いなくなったらしいのです。八方手を尽くして探したところ、当時は不治の病だったハンセン病で警察に強制連行されていたことがわかりました。父はこのことが生涯忘れられなかったのだと思います。80歳を過ぎてから、父は無名戦士の慰霊とハンセン病の制圧に心血を注ぎました。80歳から93歳までの間に103回途上国を訪問しています。父はハンセン病菌を自分に注射し、その原因を突き止めることにも貢献しようとしました。
私は父の遺言としてかれこれ30年以上ハンセン病制圧に関わってきた訳です。
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ウェワック総合病院を訪ねて
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フィリピンのハンセン病患者を訪ねて
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ラトゥレレ:
それでWHOからハンセン病制圧特別大使に任命されたわけですね。
笹川:
大変光栄だと思っています。又責任を実感しております。WHOの目標は2005年までに各国のハンセン病患者を一万人に一人以下にすることです。そういった意味で、特別大使は重要な役割を担っていると思います。日本財団は1994年のハノイ宣言を受け、5年間ハンセン病治療薬を無料で世界中に配布してきました。また、現場に行き現状を知ることが大切だと考えており、ハンセン病患者がまだ制圧されていないインド、ブラジル、ミャンマー、ネパール、モザンビークなど私自身何度も訪ねて早く目標を達成したいと努力しているところです。
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ラトゥレレ:笹川理事長ご自身がハンセン病制圧にここまで貢献される理由はなんでしょうか?
笹川:
30年前ハンセン病を制圧しようとWHOに行ったら「そんなことは不可能である。」と言われました。当時ハンセン病部はWHOの中で一番不活発な部署でしたが今では一番活発です。私はハンセン病制圧活動に2つの意味を見いだしています。一つ目はハンセン病の記録は紀元前6世紀の資料にもありますが、それ以来世界中で患者は社会的差別を受け続けてきました。ハンセン病を制圧しても社会的差別は残ります。つまり私は人権問題の根源がハンセン病にあると思っているのです。二つ目は貧困、環境、エイズなど世界的問題は多くありますが、ハンセン病に関しては関係国政府、WHO、世銀、そして日本財団、笹川保健協力財団がいわゆるグローバルアライアンスを組んで取り組んでいます。こういった取り組みは世界的課題をお互い協力し合い解決する、一つの方法を提示できるのではないかと考えています。
ラトゥレレ:
最後に私たち太平洋報道関係者ができることを教えてください。
笹川:
メディアには大きな役割があります。教育とパブリシティが一番重要だからです。是非、次の3つのことを太平洋の人々に知らせてください。ハンセン病の治療薬はどこでもただで手に入ること、単なる皮膚病であること、1年以内に治る病気であること。そして家族同士で皮膚を見せあうなど早期発見に協力して下さい。
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PINA Nius
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笹川理事長とラトゥレレPINA事務局長
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