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于 展(う てん)
笹川日中友好基金 室長
食料難の「3年困難時期」に生まれたわりには、体ばかりが大きく育った。文化大革命の始まりを全寮制の幼稚園で迎え、意味も分からない「造反有理」のシュプレヒコールを叫びながら、先生に連れられて紅衛兵のデモ行進を見物に行った覚えがある。小学校では紅小兵、中学は紅衛兵の腕章を付け、「批林批孔運動」では大字報を書き、「右からの巻き返しに反対する運動(反撃右傾翻案風)」では、全校生を前に批判原稿を読んだこともある。中2の秋に文革が終焉を迎え、お陰で「上山下郷」を免かれ、文革世代のしっぽになった。
改革・開放がもたらした最大の成果は人々の価値観の変化。「導師・統帥・舵手」の絶対的価値を疑う勇気もなかった昨日までの自分の姿が今日になって嘘のように見えてくる、そんな大学生時代を送った。卒業後は大学での教職も経験し、87年に来日のきっかけを掴む。「留日」の最大の収穫を挙げるとすれば、日本認識の深化よりも、今まで中にいて全容が捉えきれなかった母国の姿が少しずつ見え始めたことにつきる。
日中基金では、中国各分野関係者の訪日交流ミッション、元気のいい農民たちを教育の対象とした中国農村の地域振興、日中の協力による大学院特別研究講座などの事業を担当している。正直なところ、何か仕事ができた手応えよりも、関係者・仲間に背中を押される形で勉強させられてきた実感を持っている。仕事の場が持つこのような魅力を絶えず追求し、仲間や関係者の方々から受けられる新鮮な刺激を養分に成長していきたい。
休日は同世代の中国人仲間で固まったサッカーチームで汗を流している。チーム名は文革を経験した者なら誰でも忘れられないアイデンティティ喪失の危機にさらされた突っ張り青年たちに因んで、「痞子們」になっている。
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