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−NPOジャーナル Vol.3 掲載記事より
  (2003年10月発行/発行元:特定非営利活動法人関西国際交流団体協議会)


入山 映 


 笹川平和財団(SPF)は満17歳。ランボーのいう「十八歳、まだ分別にややかける」(堀口大学訳)域にも達しない、未成年で生意気盛りの組織です。そのうえ、基金規模775億円、職員数約40名ということですから、日本では大振りかもしれませんが、国際的な助成財団としては、ひいき目に見ても中小企業。そんな組織の経験を「国際」の文脈で一般化して語るのは、それこそ蘆の髄からなんとやらの誹りを免れません。
 従って、話題はつつましく、我々は自分たちのことをどんな組織だと考え、そのために何をしてきたか、そして、これから何をしようとしているか、に限定することにします。これまでの実績 (track record) にそれなりの自負がないわけではありません。しかし、我々のやり方がベストだというつもりはない、という心意気だとご理解ください。


 世の中を良くする組織ではない

 我々は、自分たちのことを「世の中を良くする組織」であるとは考えません。では、どんな組織なのか。「世の中を良くする方法を考える組織」であると考える。何だか語呂合わせか、頓知問答のように聞こえるかもしれませんが、さにあらず。民間非営利活動に携わるものの方法論としては、かなり決定的な違いを含意しているのです。
 アフリカの飢餓を例にとりましょう。某国に干ばつとそれに伴う飢饉が発生した。目ばかり大きくて飢えに苦しむ子どもの姿をマスコミは報道します。「この子たちにミルクを」「あの村にパンを」。募金運動、さらにはNPO/NGOが現地に入ります。
 それと並行して、アフリカにおける農業生産性向上の基礎研究に従事する人がいます。無耕起(non tillage)農法による表土保存、農業生産物加工に取り組む組織がある。農業政策、さらには農業関連物資の流通問題についての政策提言を試みるグループもいる。
 前者と後者はどちらがより大事というものではない。どちらが尊いともいえません。しかし、方法論として大きく違うことは明らかでしょう。
 ということは、そのどちらをめざしているかによって、働く人々に期待され、要求される資質もかなり異なったものになる場合があることはお解りいただけると思います。「場合がある」というまわりくどい表現を使ったのは、両方ともできるという天才が時には存在するからです。フィールドに立たせても、教壇から演説をさせても天下一品というシュバイツアーやバーンスタインのような人は、やはり存在する。
 しかし、残念ながら、そんなスペックについて語っても我々凡人にはとても遠い話ですから、ここは先にもお話ししたように、SPFにおいて(ということは後者に軸足を置いて)、プログラム・スタッフに求められる資質はどんなものか、という一般論から始めましょう。

 3つの思い

 まず何よりも、それは3つの「思い」に始まります。  第1の思いとは「思い込み」。それが開発途上国に見た富の配分の不平等についての義憤、あるいはあるべき日本の姿、アジアの将来、さらには環境問題から生命倫理の問題に至るまで、どんな領域についてでもよい。この社会を、地球をこうしたい、ここが問題ではないか、という思い込みがなければ始まりません。それが、自分の社会との関わりの動機づけになるからです。
 そして、特に助成財団に働く人にとっては、「思いつき」が大事な要素になります。スローガンをナマの形で大声に唱えるのは、多くの場合、助成財団の仕事ではありません。そのスローガンを、一工夫して具体的なわかりやすいケースに仕立て上げる。例え話でいえば、「平均的日本人」の特質を叙述するのは学者の仕事です。身長、教養、資産、性格、政治観etc。それを15分の映像番組に仕立て上げる、それがプログラム・スタッフの仕事です。その一工夫に興味がなかったり、あまり得意でない人に適した職場ではないのはお解りでしょう。
 最後に、どうしても大事なのが「思いやり」です。信念と哲学を持ち、工夫と加工の能力に見るべきものがある。当然、自分自身の計画にも厳しいと同時に、他人の欠点や短所にも鋭い目を向けるようになります。また、腕の良いスタッフとしては、そうでなくては困る。しかし、ドナーあるいは援助する側のNPOが構造的に持つ優位性を認識していれば、そこに思いやりは不可欠でしょう。さもなければ、プラトン流の哲人独裁者か、もっと下世話に小言幸兵衛になるのは見えています。

 豚の逆立ち

 3つの思いという必要条件を満たしたプログラム・スタッフに、次に求められるのが「豚の逆立ち」だ、とSPFでは云い倣わされています。
 大事なのはGIP、つまり、PIGをさかさまにした3つの要素だという語呂合わせなのですが、いちばん大事なのがG、つまり、Good listener (良き聞き手)であること。「思い込み」が強いほど、知識があるほど、経験が豊富なほど、ついそれをひけらかしたり、自分が主導権をとりがちです。これを戒めているわけで、戒めなければならないという事実それ自体が、いかにドナーや北側NPOにこの態度が欠けているかという例証である、といってよいかもしれません。後のいくつかの資質のすべてにも増して、この要件がいちばん重要だ、というのが大事なところです。

「豚の逆立ち」
次はIで、IOCからなります。
intelligence(知性)とOriginality、これは独自性とでも訳そうか、それとCreativity(創意工夫)です。いかにIが優れていてもOとCのない「指示待ち人間」はこの仕事には向かない。同様に、知性なき独自性や創意は単に奇をてらうか、悪趣味に陥ることもよく知られています。
 PはPKO、すなわちProfessionalismとKnowledge(知識)、そしてOrganized way of thinking(筋道を立ててものが考えられること)。「思い」と信念が先走って、プロフェッショナリズムや知識に欠けるのは決して好ましいことではない。特に、他人を相手に、他人のために、他人と共に仕事をすることがほとんどですから、きちんとものを考え、表現できなくては始まりません。こんなにくどくどと述べなくても、孔子さまのおっしゃるように、学びて思わざれば罔(くら)く、思いて学ばざれば殆(あやう)いというだけのことかもしれません。
 あるいは、昔ある一部上場企業のトップが、社員を横軸にやる気がある、ない。縦軸に能力がある、ないのマトリックスで分類した場合、4つの中で最悪なのは、やる気があって能力がないケースだ、と言っておられたのと通じるものがあるのでしょうか。

 老子の出現

 さて、3つの思いを備え、めでたく逆立ちした豚を自家薬籠中のものにしたとしましょう。
 そこに、忽然と老子さまが出現します。いわく「生じて有せず」、自分が生んだものでもそれを所有しようとしない。「為して恃(たの)まず」、何事かを成し遂げてもそれを誇ったりしない。そして「長じて宰せず」、何かを成長させることがあってもそれを支配しようとはしない(老子第十章)。
 人間の知恵はこの何千年さして進歩していない、といいたいわけではありません。そうではなく、動機づけがあり、資質を備え、そして、創りあげたプロジェクト・プログラムとスタッフの関わりがどのようなものであるのか、を示します。老子の言葉を文字どおり解釈すれば、種をまき、手入れをしても、「花見る時は蔭の人」になってしまう。これにアイデンティティ・クライシスを感じる人は決して少なくないのです。
 同時通訳の第一人者の方から、いつもいつも人の話を通訳ばかりしていると、時々、自己主張の場がほしくなる、と伺ったことがあります。プログラム・スタッフもこれによく似たところがある。だから、ある人にいわせれば、「一生やっている仕事ではない」ということになります。それをいえば、ジェット機のパイロットだって、イチローだって、別に一生続ける仕事ではないのですから、それと充足感は別な話です。が、それにも増して関心を抱かざるを得ないのが、創りあげたプログラム、あるいはSPFのような民間非営利組織に働く人々を取り巻いている社会はどのようなものか、ということです。

 3つの不幸

 現在、どのようなものか、という前に昔を振り返っておきましょう。現在の我々が過去を引きずっているのは事実ですし、日中関係ではありませんが、現在は過去の反省なくしては存在しない。もっとも、反省すべき過去がここ半世紀に限定されねばならない、というのも奇妙な話ですが。

SPF主催のセミナー「文明間の対話:ヒンドゥーイズムと世界」
SPFではイスラム、ヒンドゥーなど異文明間の対話セミナーを連続開催している
 こちらの方はスパンをもっと永くとりましょう。藤原から室町時代、そして近くは江戸時代。日本で豊かで多彩な民間非営利活動が展開されていたのは周知の事実です。それが死に絶えたとはいわないまでも、すこぶる元気がなかったり、いびつな存在に成り果てたについては、3つの偶然、あるいは3つの不幸があった所為のように思われます。
 それは他でもない効率至上主義、追い付き追い越せ的な成果重視、旧いものは棄てて顧みない、といった風潮が一世を風靡する機会を日本が最近、三度にわたって経験したことでしょう。一度目はいうまでもなく、明治維新。富国強兵、列強を追い越せでした。やや豊かになって巡航速度に入りかかった頃の第二次大戦と敗戦。戦後、荒廃からの復興には再び効率と速度が重視されます。多元的価値観とか、民間非営利活動モデルというのは、能率的ではありません。そんな悠長なことはいっていられない時代でした。再び、やっと豊かさを手にし、市民が自己を取り戻したかに見えた時、バブルがやってきます。パットナムがアメリカについて"Bowling Alone"で分析した*注1のと似たような現象が、形を変えて、驕りたかぶった日本人に発生したのです。その意味では、20世紀末の市民復権が阪神・淡路の震災を機としたのは象徴的であったのかもしれません。

 4つ目の不幸?

 ようやく民間非営利活動が陽の目を見る。社会的にその意義が認知され始めたかに見える。世界のレベルから見れば遅く、低いにしても、どうやらそれを受容する風土は整いつつあるようです。ところが、NGO/NPOとそれをとりまく社会との関係を巡って、4つ目の不幸の兆しが見えないではありません。
 それは一方では、社会のNGO/NPOに対する(良き)イメージ先行とNGO/NPO側のプロフェッショナリズム不足とのミスマッチ現象であり、他方では、正確なNGO/NPO機能の認識の欠如と、その結果としてのNGO/NPOに対するおざなりな対応がもたらす弊害です。
 前の方は特に解説する必要はないでしょう。これが現実のものとなった時には、失望感からバックラッシュを引き起こすのは見やすい。資質向上を怠ってはならないという話です。後者の方は特に国際舞台において懸念される点で、安易なNGO/NPO讃歌ともいうべき国際機関・ドナー機関の対応が、マレンが“The Road to Hell”で指摘した*注2ようなNGO/NPOの堕落を生むと同時に、誰に選ばれたわけでもない、誰を代表するわけでもないNGO/NPOに不当に大きな力を付与する、というオッタウエイがネオ・コーポラテイズム台頭について抱いた懸念*注3と同根の問題です。いくつかのドナー機関がアドボカシー団体に対してとっている態度は、この懸念が懸念に留まらない実例を提供するでしょう。

 そしてSPF

 17歳の青年は回顧録を書いたりしません。しかし、これからの17年を夢見ることはできます。
 国内で見るささやかな夢は、国際的に発生するさまざまな局面で、国と民間非営利組織、そして企業という三者の機能分担、役割分担が巧まずしてできていくことです。EUやアメリカではとうにやっていることですから、これはいわば、この道の後進国日本特有の夢というべきでしょうか。
 地球という職場では、アジアの声、アジアのやり方、アジアの考え方を世界に発信して、それが理解されたらいいな、というのが夢でしょうか。宗教・文化のみならず、政治や経済、さらには哲学・倫理の世界まで、その可能性は無限なように思われるからです。


    注釈
  1. Robert D.Putnam "Bowling Alone" Simon & Schuster 2000
  2. Michael Maren "The Road to Hell" Free Press 1997
  3. Marina Ottaway "Global Governance" a Review of Multilateralism and international Organizations Vol7, No.3, Sept. 2001




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