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笹川平和財団 上席研究員 柴田友厚
国際連合大学プログラム・オフィサー 大西好宣



はじめに

本稿は、日本型助成システムの課題がどこにあるのかを、米国型助成システムを参照にしつつ、プログラム・オフィサーという視点から考察している。プログラム・オフィサーという機能を紹介し、その必要性を主張するのがその目的である。あえて言うまでもないことだが、ここに述べられている主張は筆者ら個人の見解であって、筆者らが属する組織、すなわち笹川平和財団と国際連合大学のそれではない。また、本稿に記載されている事実認識に関する責任も全て筆者らにある。


 東京大学和田博士の先駆的研究

 まず、一人の学者を紹介しておきたい。私たち人類の未来を変えてしまうかもしれないほどの衝撃的な発想をしたにもかかわらず、一般にはそれほど名前の知られていない人物である。彼の名は東京大学名誉教授和田昭充博士(現ゲノム科学総合研究センター所長)。人間の全遺伝子情報と細胞における遺伝子の働きを解明しようとするゲノム研究を世界で最初に着想した人である。生命科学の時代であると言われる今世紀、ゲノム研究について今や世界的に激しい競争が展開されている。ゲノム研究の成果は新しい治療薬や予防薬として結実し、予防医療やオーダーメード医療という新しい医療のあり方をもたらす可能性が高い。この分野において、現在のところ世界を先導しているのは米国であるが、実はヒトゲノム計画そのものを最初に思いついたのは日本人だった。
 1981年、博士がまだ現役の東大教授であった頃、彼は遺伝子の塩基配列を高速で大量に解析する自動装置の開発プロジェクトを国費(科学技術振興調整費:総合科学技術会議の方針に沿って科学技術の振興に必要な重要事項の総合推進調整を行うための経費)でスタートさせた。3年後、自動解析装置の試作品は完成したものの、その後の研究については国の積極的支持が得られず、この独創的プロジェクトはわずか3年間で終結した。しかしそれからさらに3年後の1987年、今度は米国エネルギー省(U.S. Department of Energy)が同様の研究を開始、すぐに米国立衛生研究所(National Institutes of Health)も参加し、1990年には米国の国家プロジェクトとして正式にスタートする。その後のゲノム研究の世界的な隆盛と米国の独走ぶりは既に述べた通りである。
 ゲノムを制するものが21世紀を制する、とも言われる中、日本はまさにそのような構想を先駆的に有しながら、残念なことにそれをうまく育てることができなかった。逆に米国は、その着想の独創性を見抜き、国家プロジェクトとしてそれに莫大な資金を投入した。その結果、米国はこの分野において現在主導権を握っている。このことはほんの一例に過ぎないが、その意味するものは極めて大きい。資源の少ないこの国に住むわれわれにとって、何よりも必要でかつ唯一の生き残り策は、科学技術立国として独創的な研究を自ら発掘し育て上げることであろう。だとすれば、ヒトゲノム計画の轍を二度と踏まないためにも、現段階における日米の差を十二分に認識することは極めて重要である。
 さて、では一体その差はどこからくるのだろうか。本稿ではこの問いに対する一つの回答を明示し、さらに具体的な提言を行いたい。

 研究助成に関する日米の差

 幾多のノーベル賞受賞研究や先のゲノム研究にも見られる通り、日本に独創性がないわけでは決してない。独創的な研究の芽を育て上げる機能が、わが国のシステムに決定的に欠けているのである。この認識がそもそものわれわれの出発点である。この点について、先の和田博士は次のように指摘する。

「日本では米国がやっていると言うと研究予算が付くが、誰もやっていないと言うと予算をもらえない。米国はその反対で、誰もやっていない研究が重視されるのです」(「独創の方程式」毎日新聞2000.4.17朝刊)

上記で和田博士が問題にしているのは、まさにこういった、いわば研究者のアイデアを受け取る側の人たちなのである。研究のアイデアを受け取り助成(助成の意味については後述する。ここでは「研究への資金提供」程度の意味で理解されたい)する側に、先駆性や独創性を重視する意志と評価する能力がなければ、たとえ独創的研究が存在したとしても、それを育成できないのはほとんど自明であろう。われわれはこれまで、日本人には独創性がない、という議論をさんざん聞かされてきた。しかしこれは、独創性の有無と育成機能の有無とを一緒にして議論してきたことから生じた可能性が高い。繰り返し言うが、日本人に独創性がないわけではない。問題なのは独創性の有無ではなく、先駆性や独創性の高い研究を積極的に発掘し育成することができる仕組みが、日本の助成システムの中に存在しない、ということである。これこそが、政府か民間かの区別を問わず、日本の助成システムに共通している欠陥である。

 巨額な研究資金の供与は誰がどうして決定するか

 ところで、文部科学省の『21世紀COEプログラム』や日本学術振興会の科学研究費補助金(科研費)のように、研究を対象として第三者がお金をつける、資金的な援助をするという行為を助成と呼んでいる。通常は個人、グループ、或いはその所属する団体が、自らの研究計画について第三者にその資金的支援を打診し、第三者は提出された研究申請を公正にレビュー(審査)した後、支援するか否かを決定する、という順番である。この場合の第三者とは、政府機関や民間の助成財団であることがほとんどだ。ノーベル物理学賞を受賞した東大の小柴昌俊名誉教授も、この方法で東大宇宙線研究所の観測施設『カミオカンデ』の建設を実現した。
 では、このような資金供与の決定は誰がいつ、どのようにするのであろうか。実は我が国の場合、ここが最も不透明だ。好評をもって迎えられた先の『21世紀COEプログラム』も、選考過程と選択理由の開示が十分でないことだけは、随分とマスコミ、大学に批判された。日本学術振興会の科研費に至っては、選考過程や選択理由の開示はおろか、肝心の選考委員が誰であるかも不明確で、そのために長い間、学者間のお手盛りの危険性や、研究の本質とは何ら関係のない次元での大学間の縄張り争いの存在などが指摘されてきた。確かに1700億円という資金量の大きさを思えば、学者版談合と批判されてもおかしくない状況だ。

 アメリカはどうしているのか

 では科学技術先進国であるアメリカはどのようにこの問題を解決しているのであろうか。日本学術振興会に匹敵するアメリカの組織、全米科学財団(National Science Foundation (NSF) (http://www.nsf.gov/))の例を見てみよう。この財団は米国政府によって出資された政府系助成財団で、その助成総額は約2300億円にものぼり、対象分野は生命科学や情報工学は言うに及ばず、社会科学にいたるまで多岐にわたる(日本学術振興会とは違い人文科学は対象外)。経済学にいたっては、その6割をこの財団がカバーしている。
 研究助成を行う政府による最大の組織という意味で、2つの組織はそれぞれの国の社会システム上で類似した位置を占めているが、その助成評価プロセスは極めて異なっている。主たる相違は以下の3つに集約することができるだろう。まず第1は、専任評価官としてのプログラム・オフィサーの存在、第2にプログラム・オフィサーを通じた助成申請元との対話の有無、そして最後に、審査結果の開示を通じた独創的研究の発掘育成に対する積極的関与の有無である。

 プログラム・オフィサーとは

 最初にプログラム・オフィサー(PO)について説明しよう。助成機関(この場合は、全米科学財団であり、日本学術振興会)が助成申請書を受け取った場合、まず外部の複数の専門家に対して、当該分野のピアレビュー(相互評価)を依頼する場合が多い。この行為自体は全米科学財団も日本学術振興会も同じである。しかし前者の場合、評価過程で大きな役割を演じるPOの存在がある。通常は博士号をもち、彼自身高度な判断が可能な当該分野の専門家である。彼は、自分の専門性に加えて外部の専門家からもピアレビューアーとしての意見を聞くなど、助成の可否を決定するために様々な情報を得る。POは、そうした様々な情報を総合して当該分野の事業評価に責任をもつ。このような役割を果たす専任評価官は日本学術振興会には残念ながら存在しないし、『21世紀COEプログラム』の場合も学者だけのグループが大学などでの仕事の傍ら直接選考に当たったようである。

 対話を通じたアイデアの育成

 2番目の差異として挙げた、助成申請元との対話の有無とは、申請元が提出したプロポーザルの内容やその評価に関して、申請元と助成機関との間で、どの程度の意志疎通が図られるのかということである。この場合の中心人物も、上で述べたPOである。ピアレビューアーが行った審査結果は、専任の評価者であるPOを通じ、組織として最終判断を行った後、申請者に通知されることになる。全米科学財団の場合、正式な申請書を書く前に、簡単な概略を提出することが奨励される。これは、双方にとって不必要な時間とエネルギーをできるだけ削減すると同時に、その概略を中心にした対話を通じて、より優れた最終申請案を育成しようとする仕組みのひとつである。つまりこれは、早い段階からの申請元との対話を通じて、研究の構想を練り上げて行こうとする強い意図の表れであろう。もちろん正式の研究助成申請も受け付けており、その場合も研究内容や方法に関して細かい対話が繰り返される。
 他方、日本学術振興会の場合は、専任の評価官としてのPOは存在しないため、審査プロセスにおいて、申請元と研究内容に関する専門的な対話を行うことはない。さらに、概略の提出から次第に構想を練り上げて行こうとする仕組みは存在しない。
 最後に、審査結果は日米共に申請者に通知されるが、その後の過程はまた大きく異なる。まず全米科学財団の場合、詳細なピアレビューでのコメントが同封される。採択されなかった場合、なぜこの申請は採択されないのか、どのような点で何が足りないのかという説明が専門的な視点からも詳細に記述されており、それを見れば申請者は自分のアイデアはどのように評価されたのかということを知ることができる。したがって、申請者は次回の申請時にそれを参考にして、申請書を改善することができるわけだ。このような手間をかけるおかげで、独創的研究が途切れることなく将来につながっていくのである。さらに、ピアレビュー・コメントの説明内容に納得できない場合、それに対して再審査を要求することも可能だ。
 他方、日本学術振興会の場合には、審査結果と同時にコメントは通知されるものの、それは全米科学財団と比べて大変簡素で形式的なものである。例えば「領域が違う」という文字通りたった一言のコメントがその代表だ。これでは申請者は自分のプロポーザルのどこが問題なのか知る方法はない。

 評価官自らがアクションをおこす

 このように、申請元との対話は、独創的研究を育成するための鍵であるが、この方法の限界は、提出された申請書や概略の中に、独創的なものが含まれている保証はないということである。もし独創的なアイデアが含まれていないならば、たとえ申請元と対話を繰り返しても、所詮そこには限界が存在する。その限界を克服するためには、助成機関自らが、より独創的な研究を掘り起こそうとする努力が必要とされる。発掘育成への積極的関与、とはそのようなことを意味している。日本NPOセンター(http://www.jnpoc.ne.jp/)の常務理事・法政大学現代福祉学部教授の山岡義典は、かつてアメリカにある複数の助成財団トップから受けた助言として、次のようなことがらを挙げている。

「優れた職員を揃えること。職員は申請をただ待っていることなく、外へ出て問題を掘り起こし、イノベイティブで実行可能なプロジェクトを探し当てる努力をすること」(『日本の財団』中公新書 林 雄二郎、山岡 義典(著) 1984)

この場合の職員というのが、POのおよそのイメージである。全米科学財団の場合、POは外部の申請者から助成事業をただ待つだけではなく、自らテーマを設定して、問題意識の共有者を発掘する。場合によってはRFP(Request For Proposal)によって、助成申請を奨励する。これはPO自らが課題領域を設定し、助成金額や評価基準などを明らかにし、助成申請を奨励する方法で、米国の助成財団において比較的多用されているものだ。
 またPOは、先駆的と考えられる事業に対して、正規のピアレビュー過程を経ないで、小額の研究助成をすることが認められている。この制度は、前途の不確かなものにいきなり大金をつぎ込んだ挙げ句失敗するという危険性を最小限にとどめると同時に、もし成功すれば、より額の大きい通常支援に移行することもできる。日本学術振興会の場合には、残念ながらこのような仕組みがない。
 以上、両組織とも研究助成を専門とする政府組織であるものの、助成の評価プロセスや助成事業発掘の考え方などに関して、このように大きな相違が存在することがおわかりいただけたと思う。そしてこのような違いは、評価プロセスの中に高度な専門性をもつ専任評価官という職種が組み込まれているか否かということによるのである。これらの専任評価官はプログラム・ディレクター、プログラム・オフィサー、或いはプログラム・マネージャーなどと呼ばれ、組織によって呼称は異なるものの、それが果たす機能は同じである。本稿では簡便のため、より一般的な呼称であるプログラム・オフィサー=POという用語で統一している。

 助成機能と研究機能の分離

 前述のようにPOは高等学位を持つ、その道の専門家である。しかしながら、大学教授のように自ら研究をすることが彼らの本義ではない。彼らの仕事は、高度な専門知識を前提としつつ、あくまでも助成申請者に対する助成の可否を判断することなのである。米国の助成システムでは助成機能と研究機能が明確に分離している。研究を本務としないため、伝統的な価値尺度からはある程度自由であり、非伝統的=学際的な学問分野にも絶えず目を配ることができる。ましてや、がんじがらめの学閥、講座制の弊害などとは全く無縁でいられる。
 また既に述べたように、彼らはオフィスで優れた申請書が来るのをただ待っているだけではない。外へ出て若い有望な研究者に会い、しばしば自ら積極的に働きかけて申請書を提出することを勧めたり、またそのための手助けをしたりもする。彼らはそのような有望な才能に出会うため、関連する学術誌を丹念に読み、学会の最新動向にも目を光らせる。人的ネットワークから新しい情報を入手することにも極めて積極的だ。

 我が国には殆どいないPO

 専任評価官としてのPOが日本にはいかにいないかという数字上のデータがある。今一度、日本学術振興会と全米科学財団の比較に戻ろう。日本学術振興会が発行する学術月報2002年5月号によれば、全米科学財団の職員数は1200名余り、それに対して日本学術振興会はわずか72名である。既に上で述べたように、両者が扱う助成金額は1.35:1程度の違いしかないにもかかわらず、職員数は何と17:1といういびつな比率になっていることに注意されたい。職員数あたりの助成金額という視点では、日本学術振興会の方が生産性が高い、という見方もできるかもしれない。しかし研究申請の評価とは、極めて知的集約度の高い作業であり、定型的な流れ作業ではありえない。したがって申請書評価には、職員数あたりの助成金額という尺度はなじまないどころか、むしろ独創的研究の発掘と育成を害する危険性が高い。
 だいいち、わずか72名という陣容で、米国の1200名が果たしていた膨大な作業、すなわち学会の最新動向ウオッチ、申請者との十分な意志疎通、積極的な人材・案件発掘、最終結果の開示というような上に述べた一連の作業に匹敵する役割を担っていたとは常識ではどうしても考えにくい。数が二桁違うのである。ましてや、全米科学財団のPOはほぼ全員が高等学位を持っている。残念ながら、我が国ではまだそこまでのレベルに到達していない。  実はこのような日米の差について、産業技術総合研究所の倉地幸徳氏による次のような興味深い証言がある。同氏は長年アメリカで研究活動に携わり、米国立衛生研究所などから数億円単位の助成を受けてきた。このほど30年ぶりに帰国し、日本学術振興会に助成申請した時の驚きを次のように話している。

「驚いたのは、知人から『申請書をこんなに詳しく書いたら読んでもらえない』と注意されたことです。審査員がしっかりと応募書類を読み理解せずに、どうやって評価するんです。新しい独創的な研究を、どうやって見つけるんですか。申請者の実績やコネで支給対象が決まっているとしたらがっかりです」(「理系白書」毎日新聞、2002年6月24日朝刊)

 助成という価値創造機能

 話をまとめよう。既に見てきたように、助成機能とはただ単に、資金が足りないところに資金を充当するということだけではない。ましてや、単なる慈善行為ではありえず、本来もっと戦略的な機能を持ったものとして位置づけられるべきものなのである。言うなれば助成とは、社会にとって将来重要になるだろうと考えられる分野に対して、柔軟に資金を投入することによって、その分野を育てあげてゆくという戦略的機能である。そのような助成機能がうまく機能している社会は、先駆的で独創的な研究分野を育て上げる能力を持っている。独創的な芽を育て上げることができれば、そうでない場合と比べて、同一の資金によってより多くの価値を創造することができるはずである。
 その典型的な例を、フォード財団(Ford Foundation) とロックフェラー財団 (Rockefeller Foundation)の研究助成事業が生みだした「緑の革命」や、カーネギー財団 (Carnegie Foundation)が支援した高等教育改革プログラムなどにみることができる。  「緑の革命」(Green Revolution)を生み出した研究助成は、貧困の撲滅をその最終目的とし、その手段として稲の品種改良に関する研究を行うというものであった。食料物資の援助などの直接的な助成に比べると、稲の品種改良に対する研究助成は時間がかかり、成果がなかなか見えにくい種類の助成事業である。しかしそれは、アフリカやアジアの荒れた大地に一面稲を実らせ、より広範な地域で確実に新しい知識を生み出す革命的な変化へとつながった。そして結果的に、食料援助などの局所的かつ直接的支援に比べれば、貧困の撲滅により大きく貢献した。
 1960年代の末、大衆化を迎えつつあったアメリカの大学に新たなモデルを提示したカーネギー高等教育審議会(The Carnegie Classification of Institutions of Higher Education)もまた、後世に伝えるべき価値創造の成功例であろう。早稲田大学教育学部特任教授の喜多村和之をして「今後のアメリカ高等教育研究は、いずれにせよカーネギーを超えることを否応なしに要求されることだろう」と言わしめるほど、同審議会の政策提言が当時のアメリカに与えた影響は大きい。喜多村は続けて言う。

「限られた年月のなかで、しかもわずかな数の事務スタッフだけで組織される一民間団体が、巨大な研究所をはるかにしのぐプロダクティビティを挙げえたということは、まさに瞠目すべき事実といわなければならない」(『現代アメリカ高等教育論――1960年代から1990年代へ」喜多村和之(著) 東信堂 1994)

 このような価値創造、助成機能遂行にとって最も必要な能力は、社会にとって必要な先駆的分野をいち早く見出すことができる能力である。特定の専門分野においては、高度な専門知識を持ち最先端の研究動向にも通じている必要があるが、それに埋没することなく、より広い時空間のなかで、当該分野を相対化するという能力が必要になる。これは、当該分野の研究遂行能力とは異なる能力である。研究機能を保有せずに、助成機能だけに特化した専門組織が必要になる理由はそこにある。
 そして米国にはこのような専門組織が多数存在し、政府機関、民間助成財団の別を問わず、POという機能が存在する。それに対してわが国には、民間のいくつかの助成財団を除いて、POという機能は存在しない。その結果助成機能と研究機能は実質的には一体化しており、柔軟な助成機能を駆使することによって、より高度な価値創造を行うという戦略的機能を果たしえないでいる。申請された研究の単なる査定機能にとどまっているのが、わが国の助成システムの現状なのである。



 まとめ

 日本の助成システムに決定的に欠けているものは、POという機能であり、これこそが独創的研究を発掘し育てる上での日米の差だということを、本稿では主張してきた。この機能は、抽象度をあげて表現するならば、研究者集団の持つ知を、大局的見地から評価し、助成という手段を通じてそれを育成するという社会装置なのである。このようなPO機能の必要性が、ようやく近年、総合科学技術会議などで議論されるようになってきた。
 しかし、POに関する議論は、まだ端緒についたばかりである。今後さらに議論を深めながらPO機能の位置づけを明確にすると同時に、その技術やノハウを習得するための、人材育成プログラムの開発などを検討してゆく必要があるだろう。PO機能は、その性質から考えて属人的性質が強く、社会装置化にはかなりの時間がかかる。しかし、PO機能を日本の助成システムに組み込み、社会装置化することによってはじめて、わが国は独創的研究の萌芽を見失うことなく育成することができるようになるはずである。






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