NPO小辞典


螺旋状の進歩
上から二次元の平面で見ると同じところを行ったり来たりしているようだが、横から三次元で見ると螺旋状に着実に進歩(または退歩)している状態を言う。あるいは、同一視されがちな2つの議論が、実は質的な内容変化を伴った異なったものであることを見落とすことに対する警告としても使用される。

たとえば女性の労働時間に関する制限が存在しない場合と、定められた場合、さらにそれが撤廃された時点を、短絡的に女性の権利保護の有無、という見地だけから見るとあたかも行ったり来たりしているように見えるが、その背後に女性の就労機会の増大と、それに伴って時間制限がかえって女性の職場を狭くする、という事態をあわせて考えると女性の権利保護、あるいは地位向上は着実に進んでいるような場合。途上国における先進国NPOの存在と機能をめぐっても似たような議論が存在する。

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利己行為
いわゆるself-servingの問題である。つまり「世のため・人のため」あるいは公益のために機能すると期待されているNPOが、蓋を開けてみたら何のことはない、活動は自己利益のために行っていた、という事態。持っているおカネ(以外の資源でも良いのだが)の持ち主は変わらず、ただ右手から左手に移しているようなものだ(右手左手の議論)と表現されることもある。わが国でこの議論がなされるのは、税制上の優遇措置のなされている公益法人について、その特権を利用しながら、実は私利私欲のために使うという一種の税金逃れ、所得隠しを非難する場合、および公益法人の設立許可を与える主務官庁が、天下り先としての法人を作った上に、税金や官庁主導の資源を投入することによってその事業遂行を支えているような場合が多い。

本来この問題には、後に触れるようにもっと本質的な論点があるのだが、これまでのところわが国では、とかく矮小化された議論になりがちである。それは事実そうした矮小な利己動機が現に存在していることの反映でもあるからやむを得ない面もあろう。しかしこれが好ましからざる副産物を生む場合もある。その一例は助成財団による新組織設立(institution building)。A財団が基金を拠出してB財団を作る。A財団の幹部がB財団の理事会などに名を連ねていたとしよう。これに「右手・左手」論を適用する、という向きが少なくない。問題なのはB財団がどんな仕事をしているか、別組織にする合理的理由があるか、であって、極端な場合両方の理事メンバーがまったく同じであっても、それだけで利己行為というのはまったく当たらない。もちろん有給の役・職員が明らかな給与の二重取りでもしていれば格別、要は仕事の中味とやり方の問題である。

もともとこの問題が意識されるようになった理由は、ミクロ・マクロの2通りがある。ミクロの方は、(税法上の優遇措置を受けつつ)組織設立に基金などを拠出した出捐者および利害を共にする親族などの関係者が、その組織から物質的利益を得ている場合である。大金持ちが出来の悪い息子を理事長にした財団を作ったようなケース。あるいは組織との間に行われる商行為が、関係者に利益をもたらすような場合(self dealingと呼ばれる)である。先の矮小化された議論はほぼこれに当たる。さらに環境保護団体などが、その活動の結果としてtriple bottom line accounting (従来の財務のみでは足りず、環境および社会面からの指標も企業経営に求める)などを採用させるに至った場合、あるいはオンブズマン制度の導入などを勝ち得た場合に、自らがそこで要求される評価や分析を行い得る適格者となる際には、たとえそれが意図されたものでなくともこのカテゴリーに該当するという議論も可能である(Kapstein)。

マクロには、公共財の供給をめぐって、階層的な所得分布格差を増大させる結果を生む、という視点である。たとえば再び大金持ちが、きわめて質の高い教育を行う教育機関を設立した。別に出来の悪い娘を校長さんにしたわけではないが、その学校が月謝が高く、結果として富裕層の子弟しか入学できなかった、というようなケース。あるいは事実上富裕な階層しか支持者がいないような芸術(当たり障りがあるかもしれないが、オペラとか歌舞伎を想定されたい)の振興・支援のために組織や基金を設立したような場合である。こちらの方は、一般論としての市民社会モデルの根幹にかかわる含意を持つだけにより本質的な論点を提供しよう。

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理事会
多くのNPOで組織の意思決定を行うべく設置されている組織。ただし公益法人の場合、民法は理事を置くことは要求しているが、理事会を設けることは義務づけていない。組織としての理事会というのは、理事が何とはなく集まるから理事会だ、というのではなく、一定の手続きと、権限の明示された機関である。その意味では株式会社における取締役会、株主総会と同じ。社団法人の場合にはこれとは別に社員総会の定めがある。

ちなみに最高の意思決定者であるNPOの理事は、常勤の有給理事を除き無報酬でかつ自発的に就任しているのを常とする。これがしばしば民間非営利組織の基本的な性格の1つである自発性(voluntarism)の表れであるとされる。それならば、社外取締役・無給の取締役を通常は持たない株式会社の取締役会とは異なり、財団外の部外者の意思決定過程への参加はかなり保証されていると見てよいように思われる。したがって、財団の意思決定機構が、「お手盛り」の専横に対してチェック機関を欠くという批判には実態面から反論することが可能であろう。もっとも理事会審議が形骸化して、事務局原案を追認する儀式(いわゆる「しゃんしゃん」理事会、rubberstamp)に堕しているケースもないではない。しかしそれは一般企業の株主総会についても見られるところで、制度的欠陥というには当たらない。

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倫理綱領
Ethical Code of Conductまたは単に Code of Conductの日本語訳。倫理的な行動規範についてのある組織の宣言・公約あるいは組織相互間の申し合わせ。ことの性質上任意性が強いが、中には規範としての強制力の色彩を帯びるものもある。もともとは民間非営利組織あるいはシビル・ソサエティ組織の持つ本質的問題点の1つである正統性の欠如、すなわち選挙といった民主的手続きによって選ばれたわけでもないのに、なぜそうした組織は公共財の供給などを通じて他に影響を及ぼすことができるのか、という問いかけに対応するためにされた発案されたアカウンタビリティ向上手段である。

しかし、企業の社会的責任に対する要求が強まるにつれて、企業においても自らこれを闡明したり、場合によっては企業行動に対して国際機関などによってこうした綱領が課せられるようになってきた。

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歴史主義
この言葉はいろいろな使われ方をするが、ここではhistoricism すなわち歴史には法則性があって、すべての社会現象はそれに従って生起する、という考え方を指す。もっとも有名なのは資本主義がやがて必然的に社会主義になる、という一世を風靡した例の考え方。 NGOにとってもまったく無縁ではない。たとえばNGOの発展には3つの段階がある(Korten)という場合、それが過去の傾向分析にとどまっていれば1つの知見である。しかし、これがなる「べき」だ、さらには必然的になら「ざるを得ない」、ということになってくると、少々怪しくなる。同じことはシビル・ソサエティの議論についても言える。

この考え方は、開かれた民主主義社会にとってきわめて有害である。なぜならば、この主張に反論するために、どのような実証的な方法が存在するかが示されていない(例えば「ピンク色の鯨がいる」)からだ、とする有力な議論(Popper)がある。

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レッドテープ
通例お役所仕事(あるいは仕事一般)につきもののやたら面倒な手続きや書類のことをいう。18世紀にお役所の書類は赤いテープ(red tape)でくくられているのを常としていたことに由来する。
普通NPOはこれに悩まされる側にまわるが、組織が大型化したり、組織運営を過度に民主化しようとして自らがこれに陥ることもある。

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老子
紀元前6世紀(4世紀という説もある)の中国の思想家。その言説の中にNPOの行動哲学としてぴったりの一節がある。

「生じて有せず。為して恃(たの)まず。長じて宰せず。」つまり、自分が生んだものであってもそれを所有しようとしない。何事かを為しとげてもそれを誇ったりしない。何かを成長させることがあってもそれを支配しようとしない。ということである。2千数百年経っても、人間性とか真理というものはあまり進歩はしないようだ。

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