NPO小辞典


マッチング・ギフト
誰か他の人もオカネ(などの資源)を出すことを条件とした寄付。他の人が出すオカネと自分の出す分の比率はいろいろである。「あなたがヨソから集めた寄付金と同額(2倍・半額・その他)を出しましょう」別にケチでこういう手法を考えたわけではない。自助努力の奨励とか、広く支持者を求める意義に対する認識というのが本来の主旨である。

NPOセョシュナオ・ネ・テ・ラ・レ。シ・ク

まるドメ
「まるでドメスティック(domestic)」を略した俗語。知識経験と共に発想法がきわめて国内(通常は日本)的なことをいう。まれには国際的な知識経験が豊富でありながら、発想法がどうしても日本の枠を抜けきれないという場合もある。やや揶揄する響きがある。

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丸投げ
もともとは公共工事などを受注した会社が、ただ一定の口銭を差し引くだけで、後は下請けにそのまま施行させる行為を指した。トンネル 契約ともいう。最近では、何らの方向性の指示もないまま、課題の解決を誰か(部下の場合が多い)に任せてしまうような場合にも用いられるようになった。何だか無責任な、よくないことのように受け止められているが、受託者の力量を知悉している場合には、かえってよい結果を生むことが多い。特に行政がNPOに仕事を任せる場合には、やたら目ひき袖ひきのお節介をするより、丸投げしたほうがよい場合が圧倒的に多い。行政に目利きができれば、の話だが。これをこ難しくいうと、「事前のアセスメントと組織評価を十分にすれば、プロジェクトのインプリメンテーションについては自由度を保証した方が結果はよい」ということになる。

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右手左手の議論
利己行為」を見よ。

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未必の故意
未必とは未だ必ならず。つまり必ずそうなるわけでもない、の意。だから、必ずそうなると決まっているわけではないが、そうなったらそうなったでいいや、と考えた、という意味で、故意、つまりわざとそうしたのと同様に扱うという法律上の考え方。この超低金利時代にあって、円貨表示の確定利付き投資以外は好ましくない、とする公益法人指導監督連絡会議などは、さしずめ未必の故意による財団法人殺人罪に問われる、ということになるのだろうか。

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民間非営利組織
民間の(つまり政府やクニの機関ではない)非営利組織のこと。NGONPOの両方を一言で表現するとこうなる。さまざまな領域で、さまざまな類型のものが存在するため、一義的に定義することは非常にむずかしい。日本の場合、公益法人の他、社会福祉法人、学校法人、医療法人、権利能力なき社団のほか、宗教法人、各種組合、政治団体などもこの範疇に入る。ジョンズ・ホプキンズ大学の国際比較調査(1994)では以下の5つの性格を持つものを民間非営利組織であるとした。すなわち(1)正式に組織された(2)政府とは別の(3)営利を追及しない(4)自己統治(管理)する(5)自発的な組織、である。ただし、この調査では宗教および政治組織は含まないとする。この定義によれば、日本における公益法人の多くは(2)(4)(5)の諸点、特に(4)において民間非営利組織と言えるかどうか疑わしい。

こうした組織(あるいはセクター)についてことさらに議論をするのは、それらが一定の経済的存在である(たとえば上記調査によれば、これら組織の支出総額は先進6カ国においてGDPの5%)ほか、社会的に有益な機能を持つ、ということを前提にしている。これまでのところ、民間非営利組織の存在意義については、公共財について市場による供給は望めない(市場の失敗)として政府の登場を促し、さらに政府の持つ民主主義的制約(多数の要望に沿わざるを得ない)や官僚主義などの限界(政府の失敗)が民間の非営利組織を必要とする、という説明が主流であった。

しかし、これではどうも元気がでない。つまり他の主体がやってもうまくいかないものを、それだからやる、というのでは何だか落穂拾いのような感があるし、雑多な寄せ集めを十把一からげにした「その他多数」みたいに聞こえないでもない、というわけである。それかあらぬか、本来公共財は身の回りから始まり、コミュニティによって、つまり個々人からなる民間の非営利のグループによって供給されるものであった。それが社会の複雑化、歴史の経過によって、あるいは市場に、または政府の手に委ねられるようになった、とする意見(サラモン)もある。自発的な参加、目的を共有すること、資源を持ち寄ること、そして一種の正義感と平等性を共通項とする共同体(commons)という定義(Lohmann)もあるが、必ずしも説得的ではない。

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民法34条
日本のNPOを元気ないものにしている原因のひとつ。営利を目的としない組織(NPO)は、社会福祉法人・学校法人、NPO法など特別の法律の下に設立されるものを除けば、この法律の条文によって法人格を得るほかはない。ところがこの法律は、なぜか営利を目的としない組織、すなわち非・営利組織のうち、公益を目的とするものについてのみ法人格を与える。つまり、この法律によって認められるのは「公益」法人である財団社団のみで、公益を目的としない非営利組織は対象にならない。(ちなみに新NPO法もゆるやかな形ではあるが公益の実現を目的としている点に変わりはない。)

その結果、同じく公益を目的とするお役所仕事の領域・分野と、NPOのそれがほぼ同一視される事態を生み、財団社団といえば役所の外郭団体であるという印象を与える一因となっている。その上、公益法人はその設立について主務官庁の認可を受けることとされるが、この手続きがほとんど禁止的であるといってよいほど、途方もなく面倒である。もちろんお役所には認めるかどうかの裁量が任される。どんな基準で認めたり認めなかったりするかが必ずしもはっきりしない。のみならず民法制定(明治29年)以後その基準がさまざまに変わり、現在存在する公益法人の中にはいまでは到底公益目的とは認められないようなものが入っていたりする。さらに公益法人は設立後もお役所の監督を受ける(民法67条)。

こと設立許可主義については、その改正の必要性は、早くは川島武宣なども指摘していた。1996年の総合研究開発機構(NIRA)、また後に述べる民法改正への動きを受けた(財)公益法人協会の報告書(2002)も同旨の提言を行っている。もっとも設立手続き、あるいは設立後の指導監督の煩雑さは、本来許可主義とは別な話であり、主務官庁の運用によって簡素化することは(あまり起こりそうにないが理論的には)可能だという考え方もなくはない。これは官僚機構というもの、その仕事のやり方について性悪説をとるかどうか、という問題に帰結するのであろう。NPO法成立の後にも依然として残っていた任意団体、あるいは権利能力なき社団に法人格取得の途がないという問題は中間法人法の成立によってひとまず解決した。しかし、非営利法人が100を超える法律のパッチワークで成立しているという煩雑さは依然として残る。
これらさまざまの問題意識を踏まえて、平成15年(2003)6月27日「公益法人制度の抜本的改革に関する基本方針」が閣議決定された。100年ぶりの民法改正に初めて言及した平成13年(2001)の中間法人法の付帯決議から2年。その後に閣議決定された「改革に向けた取組み」の方針を受けて、平成14年(2002)8月内閣官房行革推進事務局が「論点整理」を発表してから1年である。「玉虫色」だとも評される文書だが、その評価については後に触れる。この間、制度改革の議論とは別に、平成14年(2002)には税制調査会が非営利法人課税ワーキンググループを設置。税制面からの議論を重ねている。
制度そのものと、税制上の措置の話は本来別物である。しかし、これまでの公益法人制度が両者を表裏の関係として扱っていたこと、あるいは歴史的な経緯、さらには制度の持つ社会的意味や機能についての思い入れなどから、本来異なった次元で議論されるべきさまざまな意見が同じ平面でぶつかりあい、やや議論に混迷した観があるのは否めない。
議論の背景について概観すれば、平成12年(2000)のKSD不正経理事件が端的に表しているように、不祥事・伏魔殿・何やら疑わしい公益法人、というイメージには拭いがたいものがあった。その反面で平成10年(1998)の特定非営利活動促進法によって成立した通称NPOは、清く正しく美しいとは言わないまでも、公益法とは異なったもの、同一視されたくない、という意識も徐々に強くなっていく。さらに、行革推進事務局が最初に取り組んだ課題が「行政委託型公益法人」であったことが象徴的に示すように、官と癒着した「官益」法人。あるいは天下りを含む「蜜の味」といった公益法人像にも抜きがたいものがあった。
これが何を意味するか。これまでの公益法人は、主務官庁が厳重 に審査した上で「許可」したものに限って設立が認められる。そのうえ、設立後も主務官庁の煩瑣極まりない「指導監督」に服することを余儀なくされる。結果公益法人の主体性とか、ガバナンスはほとんど存在しない状態に陥る。「それでも」起こる不祥事は、許可と裏腹になった指導監督体制がまったく機能しないことを意味する。それどころか、これら「諸悪」の元兇は許可制度とそれに伴う指導監督体制にあった、といってもいいくらいのものである。
ところが、である。ここから先が、前に述べた議論の混乱に連なるのだが、これまでのところ許可制度・指導監督体制については、その無力さ、あるいは有害さについての議論よりは、次のような見解が支配的であった。
そこまで厳重に責任ある官庁が監視しているの「だから」、そうした法人に対しては税制上の優遇措置を与えてもかまわない。それどころか、カテゴリカルにある範疇の法人に対して税制上の優遇措置を与えるためには、優遇の要件に関して国家公権力(の機関としての官庁)の判定が必要である。という議論まででてくる。ここに憲法上の正統性の問題が、行政府の判断の無謬性と置き換えられてしまうに至るのは明白である。
しかし、関係者、特に税務当局からみれば、これは大変便利な理屈であった。個別の収益事業に関する課税と異なり、活動実態についての判断はほとんどしなくてよい。公益法人側にとっても、いったん設立してしまえば自動的に付与される措置であり、後に触れる特定寄付をめぐる煩瑣な手続きに比べればほとんど別世界であった。だから、何らかの特性を持ったグループを取り出して、それをひとまとめにして扱いたい、という思いは、同床異夢ではあるものの、あちこちに支持者が多い、ということは指摘しておいた方がよいだろう。
ここで錯綜しているかに見える議論の整理を試みると、とりあえず論点は4つに分かれていることがわかる。
その一は法人設立に当たっての許可主義と、それと表裏一体の関係にあった指導監督体制の問題である。
その二は、法人法定主義をとるわが国の法体系の中で、これまでの「公益法人」に代わって、どのような法人類型を構築するかという問題。 その三は、どのような活動を営む法人に対して、どのような税制上の優遇措置を講じるのか。その理由は何かという問題。
そして最後に、既存の公益法人の中で、いかがかと思われる存在はどのようなもので、それをどのように淘汰するかという問題。さらには将来にわたりそのような存在の発生を阻止することは可能か、という問題である。
このそれぞれについて、冒頭に触れた玉虫色の「基本方針」がどう取り扱っているか、扱っていないかにも言及しながら見ていくことにしたい。 まず、許可主義と指導監督体制が諸悪の根源であったことについては、さすがに異論がないように見受けられる。「見受けられる」などと奥歯に物の挟まったような言い方をするのにはわけがある。
許可主義の弊害を認め、準則主義による非営利法人制度を作るべきことは「方針」の中に明記されている。これは識者によって指摘されて久しく、今回抜本的改革に際して明確に方針が打ち出されたことは一大進歩である。が、準則主義によって設立された非営利法人のうち、公益性を持つ活動をするもの(いわゆる2階部分。つまり準則主義によって自由に設立される法人(1階)のうち、なんらかの特別な取り扱いを受けるべきもの)について、その判断基準と判断主体は別に「検討する」とされる。
判断基準は「客観的で明確な」ものであることを要求しているから、さすがに事実上の許可主義の復活はないにしても、注意していないと、実際の活動内容の判断をめぐって、指導監督体制の復活は十分に可能である。仏作ってなんとやら。これが復活したのでは何のための準則主義かわからなくなることの認識が肝要だろう。
勘ぐりが過ぎると受け取られるかもしれないが、根拠がないわけではない。というのも、準則主義というのは登記だけ、つまり形式要件だけで設立できてしまうから看板と中身が違うことは十分にありうる。「公益のために」設立しました、と称しても、実際の活動がそのとおりである保証はどこにもない。だから、税制上の優遇措置を含むなんらかの特別な取り扱いをすべき法人(の活動)については、誰かがどこかで判断をせねばならぬという問題は常に残る。これが、事後に要件を欠いたものを見つけて、それなりの対応をすればことは済む、という考えではなく、悪いことをしないように、できないように予防したい、しなければならない、というメンタリティと結びつくと、かの指導監督体制の復活は現実の危惧となるからだ。
これは、準則主義によってどのような法人類型を創設しようとするか、という第2の問題にもかかわってくる。「公益性の有無に関わらず新たに非営利法人制度を創設する」のであれば、新法人制度が中間法人、通称NPO法人はもとより、100を超える法律によって成立している学校法人や社会福祉法人、宗教法人などを含むものとなりうるのは当然である。「なる」ではなく「なりうる」と言ったのは、今回改革対象になっているのは公益法人、つまり民法34条の財団・社団のみであって、それ以外の法人は対象にしていない、という考え方があるからだ。「方針」が玉虫色だという理由の1つはここにもある。現行制度が法人格取得と公益性判断・税制上の優遇措置が一体となっているからよくない。だからこれを分離し、公益性の有無にかかわらぬ新非営利法人制度をつくる、と言いながら、現行中間法人・NPO法人との関係は「整理する」と述べるにとどまっている。
これが先に述べた「あんなものと一緒にされてたまるか」みたいな動きや、その他もろもろの要素の結果であるのは明白である。それはともかくこれからどうするかという話になると、3つの考え方がある。1つは極力「非営利法人」を広くとって、できるだけ多様な法人をこの傘の下にまとめていこうというものである。たとえば営利社団法人に株式会社や有限会社など多様な類型があるのと同じように、非営利法人としてひとくくりにすれば、いろいろなものがあってよいではないか、という立場である。今ひとつは、既存のさまざまな法人類型はそのままにしておいて、とりあえず狭く民法34条の公益法人についてのみ、あるいはどんなに拡大しても中間法人・NPO法人の3つだけを対象として法制度を考えるというものである。民法34条からスピンオフしていった数多くの非営利法人のうち、なぜこの2つだけを取り上げるのか。後者はやや論理性に欠ける。そこでいっそのこと、今回の議論は現行の民法の公益法人だけに対象を限定しよう、という論者も出てくる。もっとも第一の立場だって、その他もろもろの法人が傘下に馳せ参じるのは先の話。とりあえずは議論の対象を公益法人に限定しよう、ということになると、どれでも余り変わらないという気がしないでもない。
それではなぜこんなことにこだわった議論があるかというと、税制上の優遇措置とのかかわりが非常に大きい。先にも述べたように、法人制度の話と税制上の取り扱いの話は本来別な話である。のみならず法人制度の話は、憲法上の結社の自由から、組織運営上の継続性、あるいは持続可能性に至るさまざまな論点があり、法人として認められることのメリットに限っても、決して税制上の優遇措置につきるわけではない。しかし、公益法人はこれまで法人格取得と同時にそのメリットを享受してきた。それが今度は「法人は」「一般的に納税義務」がある。優遇措置があるのは「一定の場合」に限ることになると、とにかく税金を取ってやろうという立場からは、その「一定の場合」をできるだけ狭く絞ろうとするし、逆に市民社会万歳派は、なんとか広く、できればこれまでに近い形での「範疇」としてそれを定めたいと考える。
非営利であれば税制上の優遇措置の対象になるのか、「公益」あるいは「社会貢献性」という概念を付加しなければならないか。これだけだって議論が紛糾しようというものだ。さらに税制上の措置といっても、所得税制と寄付税制の2つがあり、それぞれについて優遇の論拠、あるいは対象とされるべき組織の性格が必ずしも一致しない。それを一緒くたにして議論すると収拾しがたいことになる。何が問題か。その所在を列記すれば以下の通りである。
まず所得に対する課税について。それが自分のために使われるから、つまり利益配分をするから課税するのではないか。だとすれば、利益配分をしない、つまり非営利組織の所得に課税する根拠はない。それでは非営利組織でさえあれば、鉄鋼業でもタクシー業でも所得課税はしないのか。一向にそれでかまわない、とするか、それではあまりにも広すぎるとして通常「世のため人のため」と観念される分野的な制限(国際交流・環境保護・動物愛護等の例示列記)を加えるか。あるいは分野限定のみならず、非営利のうち、「公益」目的のものとしからざるものを分けて考えようするか。さらにこれらすべての議論が、オール・オア・ナッシングなのか、「公益」性の強弱に応じて何段階かに分ける議論が可能なのか、という論点もある。
上記のどの考え方をとるか、というのはここでは論じない。どの考え方であれ、一長一短・利害得失はあるから、それは大いに議論を尽くせばよい。それよりも、なんらかの優遇措置を適用した後に発生するといわれている問題点をここでは検討しておきたい。
まず第一に、その組織が所得をどんどん貯め込んだらどうなるか。つまり、世のために使うわけでもなく、目をむくような給料を払うわけでもな いが、ただひたすら所得を蓄積したらどうなるか(いわゆる「内部留保」の問題である)。別にそれはそれでかまわない、と考えるか、それとも本来目的のために使われるかもしれないとはいえ、やたらに蓄積されるのは不健全だと考えるか。「やたら」かどうかどこでどのように線を引くか。解決の方策は明らかだ。
さらには、貯め込んだ挙げ句に法人を解散して、メンバーで山分けしたらどうなるか。それは許されない、というのが解散時財産分与の禁止である。しかし、よそさまから組織の主旨に賛同して寄付をいただいていればいざ知らず、会員が払った毎年の会費に使い残しが出て貯めてあったのを、解散時に分配して何が悪いのか、という声も出そうである。いざしらず、というのは寄付の話で、善意の寄付者からいただいた分を、皆で分けてしまってはまずかろう。これについては後に触れる。 所得の話はもう1つある。ある法人の「本来の」事業としからざるものを分けて考える必要があるのではないか。つまり、身障者の雇用創出を目的としてパン屋さんを開くのと、地球温暖化反対キャンペーンの財源獲得のためにパン屋さんを開くのは区別して考えるべきではないかという議論である。前者は当然優遇措置の対象になるのに比して、後者は一般企業なみ課税で当然だ、ということになる。ここでいう「本来の」の意味は、先に述べた優遇措置を受けられるような「一定の場合」のことであるのは自明だろう。
ちなみに会員制組織の会費収入はどうか。これが「本来の」収入であることは疑いない。会員制組織の会費であっても「一般的に納税義務」があるから、使いきらない限り課税しろ、という意見がないではない。さすがにそれはないよ、という結論になれば収益事業についてのみ「本来」事業がどうかの議論をすればよい。これには異論もあり、「本来」事業か否かの煩雑な議論をしなくとも、上記身障者雇用などの社会福祉目的による政策非課税は、現行法制度のように個別に税法で決めていけばよい、とする。
非営利法人に対する寄付について。現在の税制とその運用が、寄付適格の法人をきわめて制限的に解しているのはよく知られている。
これを拡大すべきだ、それが望ましいという声は高い。ここでは寄付に対する税制上の優遇措置は所与であるとして、寄付を受けるほうの法人をめぐる2つの問題点だけに限定する。ちなみにここで法人というのは、改めて断るまでもなく非営利法人のことである。
1つは、先にも触れたが、その法人が解散時に財産分与をしてよいか、というもの。これは否定的に解するのが当然であろう。逆に言えば、寄付税制優遇の対象になるのは解散時財産非分配の法人に限る。
第2に、それならば解散時財産非分配の法人はすべて優遇対象になるのか。それともさらになんらかの「公益」性を求めるか。この場合、時代により場所によってさまざまに変化する「公益」を内容・実質に着目して定義しようとする一種の呪縛から離れて、非営利組織のうち、「もっぱら組織構成員の福利の向上に関心のあるもの」を除き、後はすべて公益目的と解する、というのも有力な考え方なように思う。
最後に、既存公益法人の中から「世のため人のため」に機能しているとは言いがたいものをどう選び出して、淘汰するか、という難題が残る。新法人制度への移行に際しての問題といってもよい。 これに該当すると思われる類型はいくつかある。たとえば、(1)かつては公益的であったかもしれないが、現在は営利企業であるか、特に税制上の優遇措置を付与されるにあたらないもの。
(2)行っている事業にほとんど今日的な意義がなく、漫然と存在しているか、あるいは単に退職後の官僚の就職先と化しているもの。(3)設立目的と明らかに背馳した事業内容が常態化しているもの。などが代表的なものではないか。公益法人の諸元については悉皆調査が行われており、すべて主務官庁が把握している。まずこうした範疇に属すると思われる法人を主務官庁に選定させ、公示することから始めるのが現実的であろう。並行して公益法人の側からも自浄作用としての基準づくりも行われなければなるまい。
ここで再度強調しておきたいのは、法人活動に対するチェック、あるいはその評価は事後になされるべきことである。さまざまな理由をつけて事前に排除しておこうという試みが散見されるが、賛成できない。
 さて、平成18年(2006)5月、100年ぶりの民法改正がやっと日の目をみた。具体的には「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」(準則主義による一般社団・財団の設立)、「公益社団法人及び公益財団法人の認定などに関する法律」(いわゆる「二階建て部分」としての公益性について規定)、「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律の施行に伴う関係法律の整備などに関する法律」(旧・公益法人と今回の二階建て法人との移行措置が中心)の3法である。一連の作業が行政改革の一環としてとらえられ、決して「民」が「公」の場面で果たすべき役割を高らかに謳い上げる主旨のものでないことについては、先に触れたので繰り返さない。これは、民間非営利活動の重要性を認識する千載一遇の好機を逸したことになっていると同時に、900条に及ぼうとするこの法律を、著しく空疎で煩瑣な印象を与えるものとしている。
 今回の法改正が許可主義を排し、準則主義を採用したことは評価してよい。ただしその実行上の細部規定は政令・省令などに委ねられ、その規定いかんによっては、これまで以上に禁止・抑圧的なものになる可能性は否定できない。特にある法人の活動が公益的であるか否かを判断する「公益認定等委員会」およびその「事務局」の構成。さらには「公益法人の監督」の運用のされ方については、油断なく関係者が見守っていく必要がある。それを怠ると、今回の法改正は隠れ公務員温存のための制度作りに陥るおそれがある。というのも、これまでの公益法人には官庁の外郭団体と見なされるものが少なくなかったというのは隠れもない事実であり、それが世論の指弾などによってなかなか「お手盛り」では設立しにくくなってきていた。今回改正は設立自由の準則主義であり、かつ公益性の判断は第三者委員会に委ねられる。となれば、委員会の判断いかんによって外郭団体はおとがめなしでつくり放題、ということになる。その意味でこの法案の衆院通過に際してなされた付帯決議には大きな意味がある。先の中間法人法(今回の法制定によって廃止される)成立の際に付帯決議が民法34条の見直しを求めたのと並んで、この決議に歴史的な意味を持たせるようにすることをわれわれは求められているというべきであろう。この決議は「行政改革を進める上で」という条件付きながら「民間が担う公益」の重要性を認識し、そのために関係者の理解を得るべきことを求める。さらに「公益認定等委員会」の「中立性・独立性」ならびに「専門」性を確保すべきこと、特に公益認定に際して「事務局」(官僚)の影響力を排除すべきことを明言する。また前述の「政令・省令の制定に際して」、また「状況に変化が生じたとき」には広く国民の意見を徴すべきことを明記している。くどいようだが、いかに美しい文言がちりばめられていようとも、決議文そのものは「紙の城壁」に過ぎない。これを実現するのはわれわれである。何をなすべきか。委員会・事務局の構成、悪しき指導監督の復活の阻止、そうした個々の事象の推移を注意深く監視する努力を怠らないこと(watch dog)はもちろん重要である。しかし、それにもまして民間非営利活動の21世紀における復権こそが強く望まれる。いまからでも遅くないから「公益」とは「学術、技芸、慈善その他」の事業で「不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与する」というおよそ内容のない(そして多分誤った)定義を踏襲して事足れり、とするのではなく、かつ旧民法公益法人からスピンオフしていった多くの形態を取る法人についても、公的領域における民の活動として包括的に把握する努力をすべきである。委員会はこれを初仕事とすることを望みたい。その上でそれら法人の将来的な取り扱いはゆっくり決めればよい。今回立法による二階建て構造法人と、現行法によるそれとの読み替え、移行措置については四百数十条に及ぶ煩瑣とも言うべき規定に注がれた労力に較べれば何ほどのこともあるまい。

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メセナ
見返りを求めない(通例は企業による)文化芸術支援活動のこと。Mecenat 。「冠」といわれる通常の宣伝広告的な企業支援とは一線を画する、という心意気である。

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モラル・ハザード
道徳的危険(moral hazard)。もともとは保険用語で、保険にかかっている人がウソをついたり、故意に保険金目的の行為をすることによって保険会社が被る損害を指した。それがアジアの経済危機などの際に転用されて、アジアがうちうちだけで通用する基準で何かたくらむことによって、世界が迷惑する、みたいな失礼な話になった。実はNPOにもこのおそれはある。たとえばかつてスタンフォ−ド大学やユナイテッド・ウェイ・インターナショナルが指弾されたような、一部幹部職員の優雅なフリンジ・ベネフィット(豪華ヨット、高級マンション)等。もっともこちらの方は役職員に満足な給料さえ払えないNPOの多いわが国には縁のない話だが、善意のモラル・ハザードのようなものは結構少なくない。つまり善意と確信に基づいて「よかれ」と思った行為が、実はあだになった、というもの。事業評価の必要な所以である。

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