NPO小辞典


アカウンタビリティ
説明義務。または「申し訳できること」(村上)。NPO活動とは市民の共感と支持を得なければ存在し得ないものであることから、その活動内容、経理状況などを公開し、説明することができなければならない。アカウンタビリティは単なる責任というよりは、そうした要請から議論される。したがって秘密主義の正反対である透明性とか、意思決定過程の明示は当然の帰結になる。

社会的存在としてのNPOにとってアカウンタビリティが重要なのは、いまひとつ、その成り立ちに起因する部分がある。これは成果評価と深い関係がある。

つまり、営利企業の場合には市場と価格メカニズムを通じて優勝劣敗が明らかにされる。良心的な商品を作っても売れないかもしれないし、俗悪な品物でも飛ぶように売れたりするかもしれない。しかし、それはそういうものとして受け入れられ、そういうルールを受け入れたもののみが市場に参加している。

また、政府・公的機関の場合には、選挙を通じて表明された民意、それに基づく法令による規制があり、公金の使途やその態様には一応の大義名分、あるいは歯止めがかかっていると考えることができる。

それに比べてNPOの提供するサービスは、必ずしも制度的に明示されていない市民の共感と支持を基盤とする、としか説明しようがない。したがって、アカウンタビリティという物差しを常に当てはめて自制し、質的向上への努力をはらうことが必要になる。(お役所の情報公開についてさまざまな問題が発生しているのは周知の通りで、これもアカウンタビリティそのものである。もちろん企業についてもアカウンタビリティの要求は存在する。しかし、ここでの論点は制度的なフィクション、つまり建て前論についてのものであって、実体的側面は別の話になる。)

最低限制度的に整えているべき3つの要件は次の通りである。
  • 経理関係書類の公開。少なくとも収入がどこからどれくらいあったか、そして何の目的でどんな事業にそれが使用されたかが明らかにされること。同時に外部の公認会計士あるいは税理士による会計監査と結果の公示。
  • 内部意思決定、特に具体的事業内容の選定または確定は誰によって、どのように行なわれるかを明示すること。またその前提となる判断基準を事前に明示すること。
  • 一定期間に、一定の事業範囲について、望ましくは部外者を含む事業評価を行ない、かつそれを公開すること。
これはいうまでもなく、NPO活動の支持者であり、受益者でもある一般市民に対して「申し訳できる」ためにはどうあるべきか、という議論である。しかし、わが国における広義のNPO、つまり公益法人などを含む民間非営利組織の中には、どこかの誰かさん(お役所であったり、親会社であったり、いろいろある。)のご意向だけが気になって、その人に申し訳できるかどうかだけが主な関心事になっているケースが少なくない。アカウンタビリティの一種には違いないが、望まれているものからは遠い。

いまひとつ、この言葉を操作的に定義して「答責性」ととらえる立場がある(井上)。これによれば、アカウンタビリティとは「責任を追及する実効的な手段」の有無を問うことになる。井上のあげている例は「強力な国際的環境保護団体が、マグロが絶滅に瀕しているとして、その捕獲禁止運動・マグロ参品ボイコット運動を(中略)成功裡に展開し、その結果、マグロ漁業とツナ缶製造を主産業とするある小国の経済を崩壊させ(中略)たとしても、この小国の国民はこのNGOの政治責任を追及する実効的手段を持たない」というケースである。鋭い指摘であり、民間非営利組織正統性とのかかわりで大きな問題を提起する。ただしこの議論の陥し穴は、そうした実効的な手段がない、あるいはまだできていない時に、そうした活動を無責任なものとして排斥する議論と野合することだろう。


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アドボカシー
advocacy つまり特定の利益や関心事を、政治プロセスに反映させようとする運動のことで、おそらく「市民活動」に非常に近い。わりに狭い一つの分野またはテーマ(single issue:動物愛護、身体障害者など)についてのものであることが多いが、複合的な立場である場合(消費者運動、米国の公民権運動など)もある。後者の場合には政党との違いがはっきりしなくなる。

また、同業者連盟や職業別の協会なども通例このグループに含まれる。したがって、どこまでが私益でどこまでが公益かは非常に曖昧にならざるを得ないが、わが国では民法34条による公益法人として、同業者の利益代表団体の性格が強い社団法人が認められていることからすると、母集団の数が十分に大きいか、加盟要件が相当に開かれたものであれば、公益であるとみなすということかもしれない。もっとも日本の同業者団体の場合には会員相互の親睦や連絡、さらには資格認定のような事業が中心で、利益代表としての行動、特にその政治的関心は少なくとも定款の上では表に出ていないケースが多い。むしろ政治的関心が顕在化しないで、クローズド・サークル内の「利権」擁護を目的とする政治献金に偏っている、という批判も聞かれる。

他方、アドボカシーを活動内容とするNGONPOは数多い。これは志を同じくする人々の集団として、一定の意見や立場を表明することになる。それが支持者のそれを代表しているにとどまる場合は問題がない。しかし、必ずしも直接その組織の支持者ではない人々の意見・立場を代弁する、代理で発言する、と称するようになると、いかなる根拠で代表している(represent)といえるのかが問われざるを得まい。その客観的な指標や手法はいまだ十分に開発されているとは言い難い。さらに、そうした組織が制度的に意思決定過程に組み込まれるコーポラティズム的な動きにはさらなる問題がある(Ottaway)

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天下り
退職直後に(多くは高級)公務員が民間の組織・団体の要職に就くことをいう。その弊害が明らかなため、公務員は退職前5年間に在職していた仕事と密接な関係にある営利企業に、退職後2年間は就職してはならないことになっている(国家公務員法102条)。ただし、政府関係機関や公益法人についてはこの限りではない、とされることから、高級公務員が比較的若年で退職する慣例があることもあって、再就職の受け皿としての公益法人を新設するインセンティブがここに存在することになる。新設・既存を問わず、その公益法人に存在意義がある限り、「天下り」は悪いことでも非難さるべきことでもない。高級公務員に優秀な人材を確保するための手段になるかもしれないし、行政の効率化に役立つかもしれないから、それはそれで議論されればよいことであろう。むしろ問題なのは、こうした一連の「風土」の中で、官庁外郭団体あるいは行政補完型公益法人が、公益法人の主流であり、本来の姿だと誤認され易くなることである。

 今回の公益法人制度改正によってこの懸念はさらに加重されることになった。つまり、これまでは渡りの例に見られるように、退職してあまりやる気もないような(tired and retired)人々が、世の中にあってもなくてもいいような仕事をぼんやりとしているだけだったのが、設立自由(準則主義)になって公然と乱立するようになると権柄づくの官僚主義がそのまま民間非営利組織に持ち込まれ、柔軟でしなやかな本来の仕事のあり方を破壊するおそれが出てきた。このほうがずっと致命的な問題なのは明らかだろう。

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1%法
個人所得税納税額の1%を納税者が指定するNPO(など)に寄付できる制度。1996年ハンガリー、続いて2002年スロバキアで導入された。ハンガリーでは、教会に対するこれまでの財政的支援に悪い影響を与えるのではないかという危惧から、強い反発が示された。その結果、妥協の産物としてさらに別枠の1%を教会組織に寄付できることになった。同じくハンガリーのケースでは、NPOなら何でも寄付を受けられるわけではなく、3年の活動歴とか、税金の滞納がない、寄付を赤字補填には使わない、などの一定の制約がある。税務当局が管理する一連の作業のレッドテープとか高コストに対する非難はあるものの、この制度による寄付総額は1999年には総額30億フォリント(約100億円)に達し、関係者からは画期的な制度であると評価する声も高い。(Nonprofit Kutatasok)

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インターミディアリ
Intermediaryすなわち仲介機関のこと。いくつかの機能を果たすが、代表的なのはNPO活動に対する資源(オカネ、人材その他)提供者と、それを必要としているNPOの間に入って資源の流れを円滑にするもの(たとえば経団連の1%クラブ)。あるいは進んで資源開発まで行う。また、情報提供に特化する(助成財団センター)、人材の教育・訓練、あるいはNPO機能それ自体を社会に広報・周知するなど、さまざまのものが可能である。特に政府、企業、NPO共同の活動が視野に入ってくると、お互いの文化の違いや、意図のミスマッチが起こりやすくなることから、こうした機能を果たす専門機関が大きな付加価値を持つことになってくる。企業セクターを考えてみればすぐわかるように、市場規模がある程度以上になれば、この種機能(証券取引所、また商社など)は必然であり、またこの種機関の存在が市場規模それ自体を拡大していくことにもなる。

日本では民間非営利活動の実態を反映して、インターミディアリはまだ萌芽期ともいえないような段階だが、米国、欧州などでは多種多様な活動が行われている。

情報や資源の仲介機能、つまり経済学でいうところの取引コスト(transaction cost)低減機能とならんで、いまひとつインターミディアリの重要な機能がある。それはとかく思いつきとか、一過性のものに終わりがちな「世のため人のため」の善意とか活動への参加意欲をかきたてると共に、継続性のある安定したものにする媒介項となることである。(「社会装置化」参照。)

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営利
普通は「財産上の利益を目的として活動すること。かねもうけ。」(広辞苑)という意味で使われる言葉だが、非営利組織とか、営利を目的としない団体、という場合には、あがった利益を構成員で分ける、つまりprofit sharing という意味で使う。たとえばあがった利益を配当金の形で株主に分配したり、役員報酬のかたちで支給する、というのがこれにあたる。世間相場からみて著しく高額の給与や退職金を従業員に支払う、というのもこれにあたる。

これの反対が「非営利」。NPOを一般(営利)企業から区分する中心的な観念であるとされる。もちろんその前提には、企業とは利益の極大化を求めて行動する存在だ、という考え方があるわけで、企業が外部性(externality)の要因やよき企業市民といった側面から利益以外の行動目標を持つようになると、伝統的な営利・非営利の区分はそれほど決定的なものかどうか、曖昧にならざるを得ない。

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営利・非営利のクロスオーバー
営利非営利組織の間には、活動の目的、あるいは結果として発生する利益の配分をめぐって本質的な差異があるとするのが伝統的な考え方であった。しかし、米国の医療活動分野、あるいはエクアドルの銀行業務などに典型的にみられるように、両者の境界線が曖昧になる、あるいはクロスオーバー現象が発生するようになってきた。ことは両者の活動領域の重複にとどまらず、新たな関係概念の設定にまで及ぶのではないかという動きもみられるようになった。
 つまり、営利動機に基づいて合理的に行動する経済人、というこれまでの常識をくつがえして、営利動機によらない経済活動のスペースが拡大すると考える。その営利動機ではない新しい動機とは何か、についてはいまひとつ大方の同意を得るに至っていない。しかし、明らかにそうした現象が発生している。
 典型的な事例はIT分野におけるリナックスである。周知のようにあのOSは参加者の無償の知的財産提供によって成立している。知的インフラは非営利原則によって構築されているわけだ。その上に付加価値をつけて営利行為としての商用ソフトが開発される。これを一般化して知的インフラ構築は知的所有権の対象としない、つまり営利ではなく非営利の行為としてのみ認めることとし、そのインフラの上に付加価値をつけるものとして営利行為、すなわち知的財産権を認めることにする。そうした方が総体としての財の絶対量が増える、つまり社会にとっての富が増加するということが定量的に証明されれば、営利・非営利のクロスオーバーは新局面を迎えるのではないかということだ。
もちろん非営利の活動に従事する人々が、霞を食べて生きているわけにはいかない。 その意味でリナックスをにわかに一般の公共財としての知的インフラに拡大することには無理があろう。しかし、たとえば知的所有権に対する一種のトービン・タックスのような制度を導入することは理論的には可能であり、原資として少なくとも量的に十分であることを検証するのはさして難事ではないように思われる。
 これとは別に、営利配分を求めない非営利組織にあっては、通常の会社の資本金にあたる活動原資、あるいは立ち上げ資金は(配当を求めない投資としての)寄付をあてにせざるを得ない。これはほぼ必然的に、組織解散時の残余財産の関係者への配分を禁じる、という思想に連なっていた。善意の寄付者から頂いたオカネを仲間で分けてしまうとは何事だ、というわけである。しかし、ソーシャル・アントレプレナー、社会的企業(Social Enterprise)あるいは最近の英国における地域貢献会社(Community Interest Company)などが出現するようになると、配当を求めない投資と解散時の財産分与禁止が表裏一体の関係である必然性は薄くなってきていると考える人もいる。
 またこれとは別に公・私の別を非営利・営利という見地から弁別する場合でも、このクロスオーバー現象は随所に顕著である。そのもっとも衝撃的な例は、これまで国家の専権事項であるとされた軍隊について、兵站から実際の戦闘行為に至るまで私企業(Private Military Force: PMF)化が進み、その世界的経済規模は10兆円を超えるという(Singer)。

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SRI
社会的責任投資」を見よ。

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NGO
Non Governmental Organization (非政府機関)のこと。もともとは国連で、政府あるいは政府関係機関ではない組織がメンバーとして参加する時にこれを区別するために用いられた用語だが、その後民間非営利組織の「民間性」を強調して、民間非営利組織一般についても用いられるようになった。もちろん字義通り解釈すれば、株式会社もNGOだが、それでは意味内容がなくなってしまう。ちなみにわが国で途上国開発支援を中心とする海外活動に携わるものをNGO、もっぱら社会福祉、街造りなど国内活動を行うものをNPOと区別する用語法がかなり多い。別にそれはそれで目くじら立てる話ではないが、国際的に汎用性のある用法ではない。

ところで「非」政府性については、NGOの政府に対する資源(主として資金)依存をめぐっていくつかの問題が発生している。そもそもNGOは公共財の供給を主要な目的とするものが多いから、活動原資の中に占める政府(あるいは公的セクター)拠出の割合が高くなるものが出現するのは当然である。のみならず、政府の側でもさまざまな理由からNGOを活用したい、という動きがあってみれば、政府資金への依存率はいよいよ高くなる傾向にある。これを政府と民間非営利組織との共同作業、役割分担ととらえれば市民社会論そのものであり、慶賀すべきことだ。非営利セクターの収入に占める公的セクターの比率が平均して43%になるとした上で、政府との効果的なパートナーシップ構築を望むレスター・サラモンの議論はその典型であろう。

しかし、そうばかりもいっていられない場面が発生する。ひとつはドナー依存が強くなると、それが公的資源であれ民間であれ、ドナーの「顔色を見て」仕事をする。甚だしきはドナーの喜びそうな仕事しかしなくなる、という傾向が発生するのは想像に難くないであろう。さらには、それをよいことにしたドナーが、非営利組織のガバナンスにかかわるような事柄にまで介入することも十分にあり得る。これが、QUANGO(Quasi NGO・直訳すれば準NGOか)あるいはGONGO(Governmental NGO!)などと揶揄される組織となって現れる。日本の公益法人のうち多くの外郭団体にみられる事態や、主務官庁による指導監督の底流をなすのは、まさにこのメンタリティである。しかも、これが前門の虎だとすれば後門には狼もいる。NGOに渡すオカネは国民の血税である。したがって、その使い方、使われ方に対しては徹底してオカミが目を光らすのは当然である。「カネを出すなら口も出す」のは当然ではないか。それが嫌なら公金なんぞ貰うな。自分で工面せよ。はては、税金を使うようなNGOはNGOではない、みたいな議論まで発生する。

しかし、オカミが税金を使って提供するサービスは、利用者にとってもっとも質の高いものであるべきだ。したがってオカミたるもの、自分でそれができるならばともかく、そうでなければそういうサービスを提供できる機関を見つけだして、そこに依頼・委託すべきだ。と考えれば話は変わってくる。NGOは、政府が自分でやるよりも、よりプロフェッショナルなサービスが提供できるか、機動性に富むか、その分野についての知識に長けているか、コストが安いか、さまざまな理由で選ばれることになる。だとすれば箸の上げ下ろしにまで注文をつけてせっかくの長所を骨抜きにするのが賢明かどうかは一目瞭然だろう。NGOのアカウンタビリティや透明性を問うのは当然としても、自分の意のままになることや、ましてオカミのなさりようを批判してはならぬ、などということが求められるわけはない。

さらに、公共サービス供給の原資は、税という形で一旦クニが吸い上げ、それを均霑するというスタイルだけだろうか。納税者が直接に自らの選ぶ非営利組織に寄付する、という行為を通じて選択することも可能ではないか。あるいはその方がより良い公共財提供が行われるのではないか。と考えれば話はもっと変わってくる。これはほかでもないNGO・NPOに対する税制上の優遇措置の問題である。この考え方をとれば、NGO原理主義者の言うように、本来NGOは政府から(そして企業からも)独立した存在であるべきで、オカネなどを貰おうとすり寄ったりしてはいけない。自腹で、身銭を切って、あるいは自力のみで誰に頼まれたわけではない仕事をしてこそ真のNGO だ、というのは「ちょっと待って下さい」と言いやすくなる。いわば税金の形で政府に「仮預け」してある原資を、本来の使い手に戻した、ということになるからだ。

実は「独立した」NGOという考え方は、20年ほど前まで欧米でも一般的な考え方だった。米国の非営利団体のアンブレラ組織Independent Sectorは、その頃のムードを的確に表現している。善意の市民によって支えられた、政府からも、企業からも「独立」した社会的存在、というわけである。その「神話」を打破したのが例のサラモンの研究なのは人も知るところだが、もちろんこれには社会的な背景もある。彼の言う「台頭する非営利セクター」・いわゆるassociational revolutionもそれだし、クニあるいは政府機能の見直しと市民社会論の復権もそれである。しかし、そもそもNGOのプロトタイプは社会の「一隅を照らす」奉仕活動であり、個人の浄財・篤志家によって支えられるという事情がある。今日でもそうした活動は生き続けているし、その価値もいささかも衰えるものではない。だがこうした組織の機能が社会的に増大してくるにつれて、より高度な、より大きな、より専門性の高い活動も増加してくる。それは良いことばかりではない。組織が大きくなってくればNGOのもっとも嫌うはずの官僚主義も顔を出す。専門性の名に隠れてみずみずしい志が喪われることもあるだろう。手段が目的化したり、場合によっては組織拡大に狂奔するものも出てくるかもしれない。だからといって、NGOの機能と位置づけを否定し、原点復帰を唱えるのは、産業社会の病弊を指摘して18世紀の生活水準に戻せ、というようなものだ。

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NPO
Non Profit Organization (非営利組織)のこと。NGOが非政府性・民間性を強調するのに比して、NPOの方は非営利性を強調する。どちらももちろん一面的なのだが、ほとんど同義であると考えてよい。ちなみに非営利性ということならば、政府関係機関もNPOと呼んでもよさそうなものだが、民間性はいわば前提になっている。面白いことに「非営利組織。米国で発達。私的利益を目的としない民間の法人組織。税制面で優遇される日本の社団法人財団法人などの非営利団体とは性格が異なる。」などという現代用語辞典があったりする。こんなに短い文章の中に明らかな誤りが3つもあるのも驚きだが、わが国におけるNPO認識の低さを端的に物語っている。
それはともかく、特定非営利活動促進法(通称NPO法)による法人のことをNPO法人と称するのが一般的である。

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NPO法
特定非営利活動促進法」を見よ。

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ODA
Official Development Assistance 政府開発援助のこと。Okane-Dake-Ageru の略ではない。普通はOECD(経済協力開発機構)のDAC(開発援助委員会)の定義する?中央・地方の政府機関によって途上国または国際機関に供与される?途上国開発のための援助で?援助条件である金利・据え置き機関・償還期間によって計算されるグラント・エレメント(GE・どれほど贈与に近いかを表す)といわれる数値が25%以下のもののことをいう。定義からも明らかなように、これは政府が税金と財政投融資資金を使って行なうもので、民間の資金・サービスの供与とは関係ない。それをどうして本書で解説するかというと、ODA供与に際して草の根の声を反映させるべきだ、という意見の盛り上がりによって、(憲法89条抵触の問題は少なくとも表立っては議論されないまま)NPO参加の機会が増大しているからである。

日本のODAの場合、NGOを通じて供与・執行されるスキームは2つある。1つは相手国の現地NGOを主として念頭におく「草の根無償」といわれるもので、1989年に3億円でスタートしたものが95年には30億円に拡大されてきている。いまひとつは日本の開発関連のNGOを支援する「NGO事業補助」で、これも1989年に1億円で発足したものが96年には10億円に増加した。1兆3000億円を超えるODAに比べれば微々たる額であるが、着実に増加している事実は評価されてよい。

もっともこの状態に批判的な立場もあり、それによるとこうしたODAの中のNGO枠の急増は、ODA依存率が非常に高いNGO(ODANGO:お団子)を生み、それらのNGOはともすると関係官庁に迎合する態度が見られるという。もちろん資金供給源に対して卑屈な態度をとることはあり得ることだが、それを以てODAへのNGO参加を批判するのは本末転倒であろうと思われる。

それよりも重要な視点は、在外公館や在京の役人が直接NGOを選んだり、その活動を評価しようという非現実的なアプローチをどう変えてゆくかである。情報仲介機関としてのインターミディアリあるいは無数に存在するNGOの上部組織(umbrella oprganization)をいかに育成・活用するか、制度に組み込んでいくかということを検討すれば、類似の問題を抱える世銀を始めとする国際機関や他の国のODAに対するお手本を示すことにもなる。

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おまじない
それを唱えるだけでなにごとかを説明したり、意見を表明したような気分になる不思議な効果を持った言葉。buzz word。NPOの世界には日常的に存在している言葉で、「持続可能な開発(sustainable development)」「ネットワーク」「シビル・ソサエティ」などはその一例である。そういう効用がある反面、時として、あるいはしばしば相手が同じ言葉をまったく違った意味で使っていることに気づかないことがあるから注意が肝要である。

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